「映」

白川静『常用字解』
「形声。音符は央。央には美しく、盛んなものという意味があって、花の美しいことを英といい、日に照りはえて、照りかえす光に明るくうつし出されることを映という。‘うつる、うつす、はえる’ の意味に用いる」

[考察]
54「英」の項でも指摘したが、央は殃のもとの字で、死罪のような禍をいう(同書、央の項)のであるから、「美しく盛んなもの」という意味とは無縁である。央から「うつる」の意味は出てこない。
形→意味の方向に漢字を説くと無理が生じる。というよりもこの字源説は非科学的 である。なぜなら意味は形にあるのではなく、言葉にあるからである。言葉→意味→形の方向に説くのが、正しい字源説である。

では映はどんな言葉を表記し、その言葉はどんな意味をもつのか。意味は古典における文脈上の使い方である。文脈がなければ意味はない。
映は先秦時代の古典には見えない。『説文解字』にもない。後漢の頃の文献にやっと出現する。
 原文:冠咢咢其映蓋兮
 訓読:冠は咢咢として其れ蓋に映ず
 翻訳:冠は高々と上がって車蓋と照らし合ってはっきり見える――張衡・思玄賦

映は光を受けて物の姿がくっきりと現れるという意味で使われている。この意味の語は英と同音の・iăŋであり、表記も限定符号を取り換えた映である。なぜこんな語が生まれ、似た表記が生まれたのか。それは二つが同源であると意識されたからである。そしてこれらの語の根底には「くっきりと分かれて目立つ」というコアイメージが共通にあると認識されたからである。このコアイメージを表す記号が央である。
央は真ん中の意味であるが、根底には「中心で上と下にはっきり分かれる」というイメージがある。このイメージは「くっきりと分かれて目立つ」というイメージに展開する(89「央」を見よ)。
かくて明と暗がくっきりと分かれて際立つ情景を「央(音・イメージ記号)+日(限定符号)」を合わせた映によって表現できる。映という図形的意匠は「光を受けて物の姿がくっきり現れる」という意味を暗示させ、・iăŋの表記としての役割を果たすことができる。