「影」

白川静『常用字解』
「会意。景は日光によって時刻をはかることをいう。京は出入口がアーチ形の城門の形で、その城門を使って日影を測り、時刻を決めたのであろう。彡は光や音・形・色の美しいことを示すときに加える記号のような文字である。それで光に反映し、かげる状態のものを影といい、‘かげ、ひかり’の意味となる」

[考察]
京(城門の形)と日を合わせた景が「日光によって時刻をはかる」という意味になるだろうか。 「城門を使って日影を測り、時刻を決めたのであろう」と推測しているが、そんな証拠はない。古代に時刻を測ったのは土圭(日時計)かまたは漏刻である。
また景(日光によって時刻をはかる意)と彡(光・音・形・色が美しいこと)を合わせた影が「光に反映し、かげる状態のもの」の意味になるだろうか。これも疑問である。
影が形声であることは通説だが、白川漢字学説には形声の説明原理がなので、会意的に説く。Aの意味とBの意味を合わせた「A+B」がCの意味とする手法である。しかし形から意味を引き出し、図形的解釈と意味を混同している。

意味は形にあるのではなく言葉にある。その言葉とは古典漢語である。したがって古典における語(すでに漢字で表記されている)の使い方を調べれば言葉の意味が分かる。影の使い方を見てみよう。
 原文:若影之象形、響之應聲也。
 訓読:影の形に象(に)、響きの声に応ずるが若(ごと)きなり。
 翻訳:影が形と似ており、響きが声に応じるようなものだ――『管子』心術

影に「かげ」の訓がついているが、陰と影は違う。陰は日光の当たらない暗い所(物かげ)の意味だが、影は日光によって生じる物のかげの意味である。古典漢語では後者の「かげ」を・iăŋといった。この聴覚記号を代替する視覚記号が影である。景と影は関係のある語で、ひかり(日光)をkiăŋ(景)といい、かげをiăŋ(影)といった。光とかげはポジとネガのような関係である。光のある部分をA、光の差さない部分をBとすれば、光とかげはA|Bのようにくっきりと分かれる。光とかげはくっきりとした境界のついたものなので、景と影には「くっきりと境界をつける」というイメージがある。だから音もイメージも図形も共通のものを含む。

では景はどう解釈すべきか。京は大きな丘という意味の語だが、空間的、地理的特徴から「高い」「大きい」「明るい」というコアイメージがある(352「京」を見よ)。「京(音・イメージ記号)+日(限定符号)」を合わせた景は物を明るく照らす日光を暗示させる。景は日光の意味で使われる(434「景」を見よ)。
一方、語源的には「景は境なり」という同源意識を古人はもっていた。日光は明暗の境界をつけるものという言語感覚である。明の部分に視座を置けば日光の意味、暗の部分に視座を置けばかげの意味になる。景は日光とかげという二つの意味をもった言葉である。ただし日光はkiăŋ、かげは・iăŋと発音が分化し、文字の表記も前者は景、後者は「景(音・イメージ記号)+彡(限定符号)」を合わせた影となった。