「越」

白川静『常用字解』
「形声。音符は戉。戉は鉞(まさかり)のもとの字で、まさかりの形。困難な場所を越えるときに、戉を呪器として使うことがあったのであろう。戉の呪力を身に受けて行くことを越といい、‘こえる、こす’の意味に用いる」

[考察]
形から意味を引き出すのが白川漢字学説の特徴である。また、Aの意味とBの意味を合わせた「A+B」をCの意味とする会意の手法を、すべての漢字に適用するのが白川漢字学説の方法である。 本項では
 戉(呪器として使うまさかり)+走=越(戉の呪力を身に受けて行くこと)
と越の意味を導く。
図形的解釈をそのまま意味とするのが白川漢字学説の特徴である。図形的解釈と意味が混同され、意味の中に余計な意味素を混入させている。越に「戉の呪力を身に受ける」という意味素があるはずもない。意味はただ「こえる」である。
形から意味を引き出す漢字学説がなぜ間違いかというと、言葉が無視されているからである。いったい意味とは何か。白川漢字学説では「形に意味がある」としている。これがとんでもない間違いである。意味は言葉にあり、それ以外のどこにもない。

意味はどのようにして分かるのか。語の使われる文脈を見ればよい。意味は形ではなく、言葉の意味だからである。古典漢語を表記するのが漢字である。古典ではすでに漢字が使われている。漢字は未解読の文字ではない。漢字は漢語と一対一に対応する視覚記号である。だから漢語を代替する漢字の文脈を探れば、漢語の意味が分かるのである。
越は次のような用例がある。
 原文:五十無車者不越疆而弔人。
 訓読:五十にして車無き者は、疆を越えて人を弔はず。
 翻訳:五十歳で車のない人は、国境を越えて弔問に行かなくてよい――『礼記』檀弓

越は空間的にある境界線を飛び越えるという意味で使われている。ここから時間・順序・程度をこえるという意味に展開するが、最初は空間をこえることと考えてよい。
「越は蹶ケツなり」というのが古人の語源意識である。古人の言語感覚は語源に光を当てることがある。蹶は足を何かに引っ掛けて勢いをつけ、がばっと跳び上がることである。これと似た動作が越である。身をかがめたりして勢いをつけて物の上を⌒の形に跳ね上がって越えることが越である。この動作の根底に「弾みをつけて跳ね返る」というイメージがあり、さらにその根源に「⌒の形に反り返る」というイメージがある。越という語のコアイメージはまさにこれである。このコアイメージを表す記号が戉なのである。
戉は白川の指摘するように鉞の形である。しかしまさかりという実体に焦点を置くのではなく、形態や機能に焦点が置かれる。まさかりは刃の部分が広く、⌒の形に大きく反っている。この形態的特徴からイメージが取られ、「⌒の形に反り返る」というコアイメージを表す記号とすることができる。
かくて境界を飛び越えることを意味する古典漢語ɦiuătを表記する視覚記号として、戉を利用して、「戉(音・イメージ記号)+走(限定符号)」を合わせた越が作られた。