「謁」
正字(旧字体)は「謁」である。

白川静『常用字解』
「形声。 音符は曷。曷は匄(死者の骨)に曰(神への祈りの文である祝詞を入れる器の中に、祝詞のある形)を加えて、その呪霊によってなにごとかを成しとげるように祈ることで、神に請い求めることをいい、‘こう、とう、つげる’の意味に用いる」

 [考察]
 どこまでが曷の意味か、謁の意味かが分かりにくい。「その(死者の)呪霊によって何事かを成し遂げるように祈る」が曷、「神に請い求める」が謁か、あるいは「神に請い求める」までが曷、「身分の高い人に願い事があってお会いする」が謁なのか。
形の解釈をそのまま意味とするのが白川漢字学説の特徴である。しかしなぜその形がそんな意味になるのか、合理的な説明になっていない。匄がなぜ死者の骨なのか。匄(死者の骨)+曰(祝詞)がなぜ「その呪霊によって何事かを成し遂げるように祈る」の意味が出るのか、理解できない。また「神に請い求める」からなぜ「身分の高い人に願い事があってお会いする」の意味になるのか、全く分からない。
だいたい死者の骨で神に祈るという行為自体が理解し難い。こんな習俗が古代中国に存在したというのであろうか。死者への崇拝はあったかもしれないが、それは葬儀や祭祀などの儀礼的行為であって、実際に死者の骨を拝んだとは考えにくい。ましてや死者の骨に呪霊の力があって神に何事かの達成を祈るなどという信仰・習慣があったという証拠はない。漢字の解釈をもって証拠とするのだろうか。図形の勝手な解釈としか思えない。

謁はどんな意味で古典で使われているか、文脈を調べるのが先である。
 原文:卜人謁之。
 訓読:卜人之に謁す。
 翻訳:占い師が彼に会って申し上げた――『春秋左氏伝』昭公三十二年

謁は目上の人(上位の人、貴人)に会って申し上げるという意味で使われている。神とは何の関係もない。その意味の古典漢語を・iătといい、謁という視覚記号で代替される。どうしてこんな記号が考案されたのか。ここから字源の話になる。しかし字源の前提には語源がある。・iătとはどんな行為なのか。その語のコアイメージは何かを究明する必要がある。
貴人に会うという行為は普通の人と会う行為と何が違うか。貴人に会うのは簡単にはいかない。取り次ぎが必要である。無理に押し止めることが必要である。ここに物乞いをする行為との類似性が感じられる。例えば道で見知らぬ人に物をねだる際、通行の人を押し止める行為が前に来る。人を遮って相手に求めようとする。この行為を古典漢語ではkadという。これを丐カイと表記する。乞丐キッカイの丐(物乞い)である。丐の本字が匄(=匃)である。これは匕(右向きの人)と人(左向きの人)の間に|(ついたて状のもの、遮る印)を入れた形で、Aの人がBの人を押し止める情景を暗示させる図形である。この意匠によって、人を押し止めて物乞いをすることを表している。匃は「遮り止める」というコアイメージを示す記号になる。匃に曰(言語行為に関わる限定符号)を添えたのが曷である。発音するとき、喉元で声が遮られて(摩擦が生じて)かすれた声を出す、つまり声がかすれることを表している。曷も匃と同じく「遮り止める」というコアイメージがある。遏アツ(押し止める、遮り止める)にこのイメージがはっきりと残っている。
以上の検討からなぜ謁が考案されたかの理由がはっきりする。貴人に会うために、あるいは申し上げるために、むりやり貴人を遮り止める場面を作り出すために曷を利用したのである。かくて貴人に申し上げる、また貴人にお目にかかることを意味する古典漢語・iătの表記として、「曷(音・イメージ記号)+言(限定符号)」を合わせた謁が考案された。