「沿」

白川静『常用字解』
「形声。音符は㕣。㕣はㅂ(祝詞を入れる器の形)の上に神気が現れることをいい、八は上からその神気が現れている形。㕣は神意に‘そう’ の意味である。その‘そう’を水に移して沿といい、‘そう、へり’の意味となる」

[考察]
かなり神秘的な説明で分かりにくい。祝詞は祈りの言葉だから聴覚言語であろう。これを器に入れるために視覚言語の文字で布などに書いたのであろうか。なぜそんなものを器に入れる必要があるのだろうか。また器の上に神気が現れるというが、神気は目に見えるのだろうか。八の形に神気が現れるとはどういうことだろうか。「神気が現れる」ことからなぜ「神意にそう」の意味が出てくるのだろうか。そもそも「神意にそう」とは何のことか。神の言葉のままにすなおに従うことだろうか。もしそうだとすると、それを水に移して、なぜ「そう、へり」の意味になるのだろうか。水にそうとは水の流れに従って行くことだろうか。
上の説明は疑問だらけである。

形から意味を求める手法がそもそも間違っている。意味は形にあるのではなく、言葉にあるからである。意味は古典における語の使い方を調べれば分かる。沿は次の用例がある。

 原文:沿于江海、達淮泗。
 訓読:江海に沿ひて、淮泗に達す。
 翻訳:長江と海に沿って行き、淮水と泗水に到達した――『書経』禹貢

沿は線条的なものに従って(寄り添って)行くという意味で使われている。古典では「沿は順なり」「沿は循なり」などの訓がある。術や述とも同源で、これらの語のコアには「一定のルートに従う」というイメージがある。ある場所に行く際、よりどころもなくむやみに行くのではなく、ルート、筋道に従って行くというのが沿である。沿はその意味をもつ古典漢語yiuan(推定)を視覚記号化したものである。なぜ沿という図形が考案されたのか。ここから初めて字源の話になる。
㕣は用例のない稀な記号で、沿の造形のために工夫された記号と考えられる。読みは沿と同じくyiuanとされている。図形を分析すると「八+口」となる。八は↲↳の形に分かれることを示す符号、口はくぼみ・穴の形。「八+口」は極めて舌足らず(情報不足)な図形であるが、yiuanの図形化のための記号と考えれば、水がくぼみから分かれ出てくる情景を設定したものと考えてよい。これによって「ルート(筋道)に従う」というイメージを表している。水の情景をはっきりさせるため限定符号をつけたのが沿である。ただし水は意味に含まれるわけではない。意味はただ「ルート(線条的なもの、筋道)に従って行く」である。