「煙」

白川静『常用字解』
「形声。音符は垔イン。垔は竈の煙がたちこめて、煙抜きの窓(西)から外に流れ出る形。土の部分が土の竈。垔には湮・闉(煙がたちこめる)という意味がある。煙は‘けむり’の意味」

[考察]
字形から意味を引き出すのが白川漢字学説の特徴である。土の竈の煙抜きの窓から煙が流れ出る形→けむりの意味が出たという。
言葉という視点がなく、形から直接意味を求める。これは逆立ちした漢字の説明である。漢字は古典漢語を表記する視覚記号なので、言葉→意味→字形の方向に説かないと、意味を取り違えてしまう。もっとも本項は「けむり」という意味が明確なので、方向性の誤りを除けば、それほどの問題はない。

言葉→意味→字形という方向に説くのが、歴史的、論理的に正しい筋道である。古典漢語の・enの意味を知るため、煙がどんな文脈で使われているかを見る。
 原文:百尺室以突隙之煙焚。
 訓読:百尺の室も突隙の煙を以て焚(や)く。
 翻訳:百尺もの建物も煙突の隙間から出る煙で焼けてしまう――『韓非子』喩老

明らかに「けむり」の意味で使われている。・enの語源を究明したのは王念孫(近世中国の古典学者)である。垔・陻・闉・湮・湮は同源の語という。また藤堂明保は垔のグループのほかに隠・穏・殷・衣とも同源とし、「かくす」という基本義があるとしている(『漢字語源辞典』)。基本義というのは意味とは違う。語のコアをなすイメージである。語の深層構造にあるイメージが表層に現れたのが意味である。意味とは具体的文脈での語の使い方である。古典漢語の・enは「隠して見えない」というコアイメージをもち、これが具体的文脈で「けむり」という意味が実現されるのである。けむりは辺りに立ちこめて物を隠して見えなくするものである。だから・enという。この聴覚記号を視覚記号に換えて煙という図形が生まれる。ここから初めて字源の話になる。
垔が何の形であるかについては定説がない。しかしコイメージを念頭に置くと、竈がふさがって、けむりが曲がって出る情景を図にしたと解釈できる。この意匠によって「ふさがって物の姿を隠す」「隠して見えなくする」というイメージを表しうる。したがって「垔(音・イメージ記号)+火(限定符号)」を合わせた煙が考案された。