「演」

白川静『常用字解』
「形声。音符は寅。寅は矢の左右に手を加えている形で、曲がっている矢を直し、まっすぐに伸ばすことをいう。それで‘のばす、おこなう、おしひろめる’ の意味となる」

[考察]
「のばす、おこなう、おしひろめる」は寅の意味なのか演の意味なのか明確でない。演の意味だとすれば、水の説明はどうなるのか。 水との関係が分からない。
形から意味を求めるのが白川漢字学説の特徴である。言葉という視点が抜け落ちている。意味は言葉の意味であって、言葉を抜きにしては考えられない。ではどうして意味を知るのか。古典における語の使われ方を調べればよい。演は次のような文脈で使われている。
① 原文:汎汎乘輕舟 演漾靡所望
 訓読:汎汎として軽舟に乗り 演漾して望む所靡(な)し
 翻訳:足の速い舟に乗って浮かび 流れ漂って景色を眺める暇もない――阮籍・詠懐詩
②原文:水土演而民用也。
 訓読:水土演(うるほ)ひて民用ゐるなり。
 翻訳:水土が潤って、初めて民の資源となる――『国語』周語

①では水が長く延びて流れる意味、②では水分がずるずると延びて物を潤す意味で使われている。文献への登場は②が古いが、②は①からの転義である。これらの意味をもつ古典漢語がyienであり、この聴覚記号を視覚記号に換えて演と書く。
古典では「演は延なり」「演は引なり」などの語源説がある。王力(現代中国の言語学者) は延・引だけではなく曳・衍とも同源という(『同源字典』)。これらの語は「長く延びる」というイメージがある。演のコアイメージもこれである。だから①、②の意味が具体的文脈で実現されるのである。ではなぜ演の図形が考案されたのか。

寅という記号にそれを解く鍵がある。寅は循環的序数詞に使われる記号で、十二支の第三位である。十二支は植物の生長段階を象徴化して順位を定めた。第一位は植物の発生の段階の象徴、これが「子」 。第二位は発生後まだ柔軟性を保つ段階、これが「丑」。第三位は枝葉を伸ばす段階、これが「寅」。「長く延びる」というコアイメージによって象徴的にその段階を表している。寅の図形を解剖すると「矢+𦥑(両手)」となっている。これは矢をまっすぐ伸ばす情景を設定した図形である。この意匠によって「長く延びる」というイメージを表すことができる。したがって「寅(音・イメージ記号)+水(限定符号)」を合わせた演は、水がずるずると長く延びて流れる情景を暗示させている。文献は2が1よりも古いが、論理的また歴史的に1の意味が2よりも先と考えてよい。
なお③物事を長く引き延ばす意味(演義・演繹の演)、④話や仕種を段々と引き延ばして展開させる意味(演技・演武の演)と転義する。意味はコアイメージを軸にして展開する。