「応」
正字(旧字体)は「應」である。

白川静『常用字解』
「形声。音符は䧹。䧹は人の膺(むね)に隹(鷹)を抱いている形で、鷹狩りを意味する字である。鷹狩りはわが国では“誓(うけ)ひ狩り”といわれ、神意を問う占いの方法として行われた。その鷹狩りの結果は神意のあらわれと考えられた。応に“こたえる”という意味があるのは、もとは神意を問うことに対して神が応答する、神が“こたえる”からであろう」

[考察]
形から意味を求めるのが白川漢字学説の方法である。 形の解釈法は会意的方法である。会意とはAの字とBの字を合わせたCは、Aの意味とBの意味を合わせた「A+B」がその意味であるとするものである。上の字解をなぞると、Aは神意を問う鷹狩り、Bはたぶん心であろう。A+Bは「神がこたえる」という意味ということになる。
人が鷹狩りで神意を問うと、それに対して神が応答するから、応は「神がこたえる」という意味だという説明である。
問題は応にそんな意味があるのかということである。「応える」 とは返事をするの「答える」ではない。承けこたえる、つまり向こう(相手)からやってくる物事に対して、こちら(当方)がそれに応じるということである。上の説明だと、人(こちら側)の質問に対して神(相手側)が答えるというのであるから、正反対であり、全く理屈に合わない。
古典における應の用例を調べる。
 原文:媚茲一人 應侯順德
 訓読:媚ビなる茲(こ)の一人 侯(こ)の順徳に応へよ
 翻訳:我が愛すべき天子さま 彼の優しい徳を受け入れなさい――『詩経』大雅・下武

相手の呼びかけや働きかけなどを受け止めて意志表示を返したり、受け入れたりするという意味で使われている。それを意味する古典漢語がiəngであり、それの表記(視覚記号)が應である。
應を分析すると「䧹ヨウ(音・イメージ記号)+心(限定符号)」となる。䧹は鷹の原字とされている。䧹の金文は「人+|+隹」から成り、人が胸の前で鳥を抱きとめる情景と解釈できる。要するに鷹の馴化の場面、あるいは鷹狩りで鷹を受け止める場面が想定されている。この図形的意匠によって、「向こうから来るものをこちらで受け止める」というイメージを表すことができる。したがって應は外部から来るシグナルなどを心で受け止める(応じる)ことを暗示させる。ただし具体的文脈で実現される意味は「受け止める」「応じる」ことであって、心は意味素に含まれない。
白川説では神意を問う占いをして神が答えるという意味だとするが、神とは全く関係がないことは明らかであろう。