「押」

白川静『常用字解』
「形声。音符は甲。甲に柙(おり。おりに入れる)の意味がある。もと甲の音で読んだが、のちオウの音で読む。ものごとを強制的に行うこと、また力を加えてすることなどをいい、“おす、おさえる” の意味に用いる」

[考察]
四つの疑問点がある。①「甲に柙の意味がある」というが、そんな意味はない。 ②「もと甲コウの音で読んだ」とあるが、『広韻』では烏甲切とあり、ăpの音と推定されている。「押」の字の出現は漢以後と考えられ、古くはない。③「ものごとを強制的に行う」「力を加えてする」の意味としているが、押収・横領・押送などの押は転義であって本義ではない。④「おりに入れる」からなぜそんな意味になるのか、さっぱり分からない。

押の本義は何か。『後漢書』東夷伝には次の用例がある。 
 原文:兒生欲令其頭扁、皆押之以石。
 訓読:児生まれて、其の頭を扁ならしめんと欲し、皆之を押すに石を以てす。
 翻訳:子供が生まれると、その頭を扁平にしたいと思い、皆石で頭を押さえつける。

東夷の奇妙な風習を述べた件である。生まれた子の頭を石で押さえつけるということを述べた文章である。「押」は上から物を当てておさえつけるという意味であることは明白である。白川の言う通り「強制的」「力を加えて」何かをするというニュアンスを含んでいることは確かだが、「おさえる」という非常に具体的な動作を表す言葉である。
白川漢字学説は形声文字の説明原理がないという特徴がある。 その理由は言葉という視点が欠落していることに帰着する。

「甲」を音符(発音符号)と見るのが間違いである。甲(kăp)は押(ăp)の発音符号ではない。漢字は記号素文字であって、音素のレベルに対応しない。だから甲は発音符号ではあり得ない。では何かというと「音・イメージ記号」である。音を大雑把に暗示させると同時に語のコアイメージを表す記号である。甲でもってăpの音を表すのは緩い。それよりも重要なのはイメージ表示機能である。では甲のコアイメージとは何か。
甲はその条で詳しく述べるが、結論を言うと、「表面に覆いかぶさる」というコアイメージがある(531「甲」を見よ)。「甲(音・イメージ記号)+手(限定符号)」を合わせた「押」は、手を物の上に覆いかぶさるようにして下におしつける情景を暗示させる。この図形的意匠によって、「上から押さえつける」を意味するăpという語の表記とした。

形から意味を引き出す白川漢字学説の方法は形声文字の場合ほとんど失敗する。意味は言葉にあって形にはない。形の解釈と意味は同じではない。形の解釈を意味とすると、意味はゆがんでしまう。意味は具体的な文脈にしかない。そのようにして捉えた意味がなぜそのような形に表されたかということを究明するのが字源である。字源は語の意味の確定の後、あるいは語源の探求の後に来る作業である。これを先にすると間違いが起こる。