「憶」

白川静『常用字解』
「形声。音符は意。音は祈って神意を問うのに答えて、神が夜中にかすかな音を立てて神のお告げを知らせることをいう。音によって示された神意を心の内に思いはかることを意・憶という」

[考察]
音に「祈って神意を問うのに答えて、神が夜中にかすかな音を立てて神のお告げを知らせる」という意味があるのか疑問。更に意・憶に「音によって示された神意を心の内に思いはかる」という意味があるのかも疑問。
意味とは言葉の意味であって、古典に使用される文脈によって決まる。音や意・憶に上記のような使い方はない。だからそのような意味は存在しないと断定してよい。それらは形の解釈に過ぎない。形の解釈をもって意味とするのが白川漢字学説の特徴である。形の解釈と意味は同じではない。これを同一視すると、言葉の意味を捉えることはできないし、言葉の意味をゆがめ、意味に余計な意味素を混入させる。
憶は古典でどのように使われているかを見る。
 原文:心有所憶、謂之意。
 訓読:心に憶(おも)ふ所有る、之を意と謂ふ。
 翻訳:心にこもる思い、これを意という――『霊枢』本神

憶は胸のうちいっぱい思いをこめるという意味で使われている。億と憶は全く同音である。億の旁は「立+中+口+心」からできているが、憶も同じ。「立+中+口」を縦に組み合わせた記号は、「言」の真ん中に「中」を入れて、言葉が口の中にこもる状況を暗示させる図形。これをヨクと読み、「中にいっぱいこもる」というコアイメージを示す記号とする。これを音・イメージ記号として、限定符号の心を添えて、心の中にいっぱい思いがこもる状況を暗示させる。今度はこれを音・イメージ記号として、限定符号の忄(心)を添えた記号が生まれるが、結局一つ前の記号と音もイメージも変わらない。難しい記号を隷書の段階で「意」に替えたのが「憶」である。
ちなみに思いのこもる所は「胸のうち」である。これを臆(むねの意)という。この字を使った腷臆ヒョクオクという言葉がある。「思いが胸にふさがっていっぱいになる(胸が詰まる)」という意味である。「中にいっぱいこもる」というコアイメージが億・憶・臆に共通である。