「仮」
正字(旧字体)は「假」である。

白川静『常用字解』
「形声。音符は叚。叚は玉質の石の塊を切り出して、これをみがいて美しい玉にしあげる形。それで人面をしあげることを假という。すなわち仮面の意味である」

[考察]
形から意味を導くのが白川漢字学説の方法である。 言葉という視点がないから、形声を説明する原理をもたない。だからすべての漢字を会意的に説く。本項も形声ではなく、会意と規定すべきである。
叚(石を磨いて美しい玉に仕上げる)+人→假(美しい玉で人面[仮面]を仕上げる) と意味を導く。
字形の解剖にも納得し難い所がある。叚に「玉質の石」を見るのが突飛である。 それを磨いてできた玉で仮面にするという解釈も奇妙である。そんな仮面が存在するだろうか。鉄仮面や能面などを念頭に置くのであろうか。

意味とは言葉の意味である。文字は言葉を表記する手段であるから、言葉を離れては単なる符号である。そんな形から意味を求めても言葉の意味にはならない。「意味とは言葉の意味である」を前提 にしないと漢字論は成り立たない。
意味→形という軸から見直してみよう。まずkăgという言葉(古典漢語)があった。kăgは家も意味するが、これとは別の意味もあり、假と表記される。次のような文脈で使用される。
 原文:心之憂矣 不遑假寐
 訓読:心の憂ひ 仮寐するに遑あらず
 翻訳:心に結ぶ物思い うたた寝のゆとりすらない――『詩経』小雅・小弁

假寐とは一時的に寝る、つまり本式の睡眠ではなく間に合わせの睡眠ということである。「一時的な間に合わせで本当ではない」というのが假の意味である。仮説の仮はこの意味。仮病の仮は「本当のように見せかける、うわべだけで実体がない」という意味。これらに共通するのは「実体を覆い隠して見せない」というイメージである。これが假という言葉のコアイメージである。もっと抽象化すると「覆いかぶさる」というイメージになる。仮面の仮にはこのイメージがもろに現れている。これは家という語のコアイメージと全く同じである。仮と家が同音である理由は深層構造が共通するからである。つまり「覆いかぶさる」というコアイメージが具体的文脈では「いえ」と「かり」の意味を実現させるのである。仮・家だけではなく、下・夏・胡・庫などにも拡大させ、大きな単語家族として統括したのは藤堂明保である。
さて「一時的な間に合わせで本当ではない」という意味のkăgを表記するのが「假」である。これはどんな意匠が工夫されているのか。ここから字源の話になる。「叚(音・イメージ記号)+人(限定符号)」と解析する。叚は楷書では形が崩れているが、金文に遡ると、「厂(垂れたもの)+〓(ある物)+爪(下向きの手)+又(上向きの手)」と分析できる。布やベールのようなものを両手で物に覆いかぶせる情景を設定した図形である。これによって「覆いかぶせる」「上からカバーして実体を覆い隠す」というイメージを表すことができる。かくて假は実体を隠してうわべを取りつくろうことを暗示させる。これがkăgという語を表記するための図形的意匠である。