「夏」

白川静『常用字解』 
「象形。舞楽用の冠をつけ、両袖を振り、足を前にあげて舞う人の形。古い楽曲の名には九夏・三夏のようにいうものが多い。夏に大きいという意味があるのは、その舞楽する人たちの顔が大きく、体が大柄であったからであろう。季節の“なつ” の意味に使うことは(・・・)古い使用法ではない」

[考察]
形から意味を導くのが白川漢字学説の方法である。舞人の形から楽曲の名になったという。なぜ中国の意味や「なつ」の意味があるのかの説明がない(仮借とする)。楽曲と結びつかないから説明のしようがない。
言葉という視点がすっぽり抜け落ちているのが白川漢字学説の特徴である。 意味は字形から出るものではなく、言葉に内在するものである。具体的な文脈における使い方が意味である。コンテキストから判断し、捉えられるのが意味である。
古典で夏はどのように使われているかを見るのが先立つべきである。
①原文:夏之日 冬之夜 百歲之後 歸于其居
 訓読:夏の日 冬の夜 百歳の後 其の居に帰らん
 翻訳:夏の日が過ぎ 冬の夜が過ぎ 百年たったら 彼の住み処[墓]に帰ろう――『詩経』葛生

②原文:於我乎 夏屋渠渠
 訓読:我に於けるや 夏屋渠渠たり
 翻訳:私にしてくれたことは 広々と大きな屋敷――『詩経』権輿

夏は『詩経』では三つの意味で使われている。①は季節の「なつ」、②は「大きい」の意味。また、中国の意味、特に殷の前にあったという王朝の名である。これらを古典漢語でともにɦăgという。これらの意味を統括するコアイメージは何であろうか。『釈名』では「夏(なつ)は仮なり」という。夏と仮を同源と見ている。これ以外に同源の語を見出したのは藤堂明保の研究である。下・価の項でも述べた通り、下・家・仮・夏・湖・価・庫・居などは同源の単語家族を構成し、KAGという音形と、「下の物をカバーする」という基本義があるという(『漢字語源辞典』)。
これだけでは三つの意味の関係が分かりにくい。「⌒の形に上から覆いかぶさる」というコアイメージと言い換えよう。⌒の形に上から覆いかぶさると、覆われた下の空間は隙間なく広がる。面積が大きくなる。だから「覆いかぶさる」というイメージは「大きい」というイメージに転化する。古代の中国人は「大きい」というイメージを用いてɦăgを自分や自国の美称とした。これが中夏であり、後の中華につながる。また四季のうち、植物が最も繁茂して地上を覆いかぶさる季節の名とした。これが「なつ」である。
このようにɦăgという語の深層には「覆いかぶさる」というコアイメージがあり、これが三つの意味を実現させるのである。
ɦăgという聴覚記号を代替する視覚記号として「夏」が考案された。夏を舞人の形とする説は宋代に現れている。しかし舞に結びつける必然性はない。単純に衣冠をかぶった大きな人の図形と見てかまわない。この意匠によってɦăgという語のコアイメージ「覆いかぶさる」を表現できるからである。このように解釈すれば意味の展開がすべて解明される。