「華」

白川静『常用字解』
「象形。花びらが美しく咲き乱れている形。咲き乱れている花の形だから、“はな、はなやか” の意味となる」

[考察]
形から意味を導くのが白川漢字学説の特徴である。咲き乱れている花の形→はな・はなやかという意味を導く。
白川漢字学説では形に意味があるとし、形から意味を求めることを字形学と称している。字形学は文字学とほぼ同義である。
意味とはいったい何だろうか。意味とは言葉の意味であることは疑いのないところである。言葉という聴覚記号を、それとは種類の違う視覚記号に切り換えたものが文字である。文字は言葉を前提とする記号である。文字と言葉は一対一に対応する。もし対応しなければそれは文字ではない。言葉を離れた文字はない。文字を扱う限り、言葉が常につきまとっている。言葉を無視した文字学などという学問はあり得ない。白川漢字学説は言葉という視座のない学説である。だから字形から意味を導くほかはない。
言葉を写したのが文字ならば、文字にも意味があると言う人がいるかもしれない。しかし意味を全面的に図形に表すのは不可能である(文字は絵ではない。絵も言葉の意味は表せない)。字形の解釈と意味は一致しないことが多い。では意味はどこに求めるべきか。それは言葉の文脈における使用法から捉えるほかにない。文脈における使い方こそ意味である。コンテキストのないところに意味はないと言ってさしつかえない。

華の使用例を見てみよう。
 原文:桃之夭夭 灼灼其華
 訓読:桃の夭夭たる 灼灼たり其の華
 翻訳:桃は若いよ 照り映える花――『詩経』周南・桃夭

この文脈から、華は明らかに「はな」の意味であることが分かる。「はな」の意味をもつ古典漢語huăgは最初は華と表記され、後に字体が花に変わった。字体が変わった理由は「はな」に対するコアイメージの変化である(114「花」を見よ)。ただし華と花は棲み分けて両者とも使われ続けた。
華はどんな意匠から生まれたか。華は楷書では形が崩れたが、二つの要素に分析できる。「A+艸」である。Aは垂の上部(土を除いた部分)と亏に解剖できる。結局三つの記号からできている。垂の上部は草木の枝葉が垂れた形である。亏は于と同じで「◠形や◡形に曲がる」というイメージを示す記号(46「宇」、86「汚」を見よ)。この二つの記号を合わせたのがAであり、草木の中で、◠形や◡形に大きく彎曲する形をもったものを暗示させる。Aを音・イメージ記号として、限定符号の艸を添えたのが華である。◠形や◡形に大きく彎曲する形をもったもの、つまり「はな」を華で表した。Aだけでも「はな」の意味があったらしいが(『説文解字』にある)、単独で使われたためしがない。