「暇」

白川静『常用字解』
「形声。音符は叚。叚は岩石を切り取る形で、まだみがいていない原石のままのものをいう。それで未知数のものであるとか、遠い、大きいなどの意味をふくんでいる。時間の関係でいえ暇(ひま)となり、“ひま、いとま” の意味に用いる」

[考察]
形から意味を導くのが白川漢字学説の特徴である。磨いていない原石→未知数のもの・遠い・大きい→ひまと展開させるが、なぜそんな意味になるのか理解し難い。また人偏の説明がない。
字形から直接意味を引き出そうとすることに無理がある。白川漢字学説では言葉という視点が欠けているため、形声の説明ができない。 
形→意味の方向ではなく、意味→形の方向に転換させる必要がある。言葉から出発し、まず意味を確かめ、次に字源に進むのが漢字理解の正道である。歴史的、論理的に暇の成り立ちを記述しよう。

古典に次の用例がある。
 原文:哀我征夫 朝夕不暇
 訓読:我が征夫を哀れむ 朝夕暇(いとま)あらず
 翻訳:あわれ我がさきもりは 朝も夕もひまがない――『詩経』小雅・何草不黄

「いとま」「ひま」のことを古典漢語でɦăgといい、この聴覚記号を暇と表記する。なぜこの図形が考案されたのか。ここから字源の話になるが、語源も必然的に絡む。「いとま」「ひま」とはどういうことか。古典では「暇は間なり」「暇は閑なり」の訓がある。時間的な隙間、何もしない静かな時と捉えている。日本語の「ひま」はヒ(物の割れ目)+マ(間)で、「空間的な狭い割れ目・隙間、転じて、時間的・心理的な割れ目」の意。「いとま」はイト(休みの時)+マ(間)で、「仕事を休んでいる時」の意という(『岩波古語辞典』)。上の用例の暇は日本語の「いとま」に近い。
暇は「叚カ(音・イメージ記号)+日(限定符号)」と解析する。叚は「覆いかぶせる」というイメージを示す記号である(112「仮」を見よ)。覆いをかぶせると、中身は隠されて見えなくなる。「実体が隠される」というイメージにも展開する。人は一日のうち昼の間は仕事などの活動をする。この時は公の場や世間に姿を現すのが普通である。しかし仕事を休む時もある。この場合は世間から姿を隠し、家やその他の場所に居て姿を見せない。このような一時的に仕事をしないで休む時間を古典漢語でɦăgというのである。「実体を隠して見せない」というイメージのある叚を利用して暇という視覚記号にしたのである。仮(一時的な間に合わせで本当ではない、うわべだけで実体がない)と暇は同源の言葉である。