「会」
正字(旧字体)は「會」である。

白川静『常用字解』
「象形。蓋のある鍋の形。鍋に蓋をして煮炊きしていると考えてよい。いろいろな食料を集めてごった煮のようなものを作っているので、“あつめる、あつまる、あう”の意味となる」

[考察]
形から意味を導くのが白川漢字学説の方法である。いろいろな食料を集めてごった煮を作る→あつめるの意味になったという。言葉という視点が欠落しているのが白川漢字学説の特徴である。意味は言葉にあるのであって、形にはない。形から意味を求めるのは言語学に反する。
では意味はどうしてわかるのか。古典における文脈から判断し、意味が捉えられる。會は次のような 用例がある。
 原文:會且歸矣 無庶予子憎
 訓読:会ひて且(まさ)に帰らんとす 庶(ねが)はくは予が子シに憎まるること無からん
 翻訳:会ったらすぐに別れのつらさ お前の恨みが残らぬように――『詩経』斉風・鶏鳴

會は二人(または二人以上)の人がであうという意味で使われている。古典に「會は集合なり」「會は聚なり」とあり、ɦuad(呉音はヱ、漢音はクワイ)という語は「二つ以上(多く)のものが一か所(一点)に集まる」というコアイメージがある。このコアイメージから「出あう」という意味と、「集まる」また「集まり」という意味が実現される。
この意味をもつɦuadという聴覚記号を視覚記号に換えたのが會である。これはどんな意匠がこめられているのか。ここから字源の話になる。『説文解字』では「亼」と「曾」の略体に分析している。これが通説である。「亼」は△の形で、三方から中心に寄り集まることを象徴的に示す記号である。「曾」は甑(こしき)という蒸し器から発想された図形で、火をかける部分、蒸気を出す部分、蒸される物の三つが層をなしている情景を設定し、「一段一段と上に重なる」というイメージを示す記号である。一つまた一つと重なるから数量が増えるというイメージにも転化する(「重なる」のイメージは「層」に、「数量がふえる」のイメージは「増」に生きている)。かくて「會」は多くの物や人が一点(一か所)に寄り集まってきて、重なるように数が増える状況を暗示させる。この図形的意匠によって、「二つ(または二つ以上)のものが一点に集まる」というコアイメージを表すことができる。