「怪」

白川静『常用字解』
「形声。音符は圣カイ。圣は土(土主で、土地の神)の上に又(手の形)を加えている形。圣には古くはコツという音があり、田畑の開墾をいう字であるが、それとは異なって、土主を祀る儀礼をいう字であろう。土主はその地域の守護霊としてはたらくものであるが、その土主に何らかの出来事が起こったのであろう。それで怪には“あやしい、あやしむ、あやしいもの”という意味がある」

[考察]
白川漢字学説には形声の説明原理がないから、会意的に説く特徴がある。土主を祀る儀礼→何らかの出来事が起こる→あやしいという意味を導く。しかし圣に「田畑の開墾」とか、「土主を祀る儀礼」などという意味はない。土主に何らかの出来事が起こるから、「あやしい」の意味が生まれたというが、その意味展開に必然性がない。「・・・であろう」とあるように推測に過ぎない。全くあやしい字源説である。

圣は「又(手)+土」を合わせただけの舌足らず(情報不足)な図形である。圣コツは掘(穴をほる)や窟(ほらあな)と同源とされている。だから圣は「うつろな穴」「ぽっかりと空虚になる」というイメージを表す記号と考えてよい。「圣(音・イメージ記号)+心(限定符号)」を合わせた怪は、心がぽっかりとうつろになる感じを暗示させる。これから「あやしい」「あやしむ」の意味になるわけではない。怪の意味は古典の文脈でしか判断できない。古典には次の用例がある。
 原文:子不語怪力亂神。
 訓読:子、怪・力・乱・神を語らず。
 翻訳:先生[孔子]は怪異・暴力・無秩序・神霊の四つの事柄を口にしなかった――『論語』述而

怪は「見慣れない奇妙な姿をしている」「得体が知れない」「不思議である」という意味に使われている。これを意味する古典漢語がkuər(呉音はクヱ、漢音はクワイ)である。この聴覚記号を視覚記号化したのが怪の図形である。見慣れない奇妙なものを目にした時の心理を怪という図形に込めている。つまり呆気にとられている心理状態を意匠として、kuərという語を表記しようとしたのである。
図形→意味の方向に見ると何が何やらわからない。袋小路に入ってしまう。意味→図形の方向に見ると、なぜそんな図形が考案されたのかの見当がつく。