「海」
正字(旧字体)は「海」である。

白川静『常用字解』
「形声。音符は毎。毎に悔(くいる)・晦(くらい)の音がある。毎は多くの髪飾りをつけた女の姿で、頭上が鬱陶しいような状態をいう。“うみ” の意味に用いる。中国で四海というのは、中華に対して四方は未開の国であるという意味である。海はまた知られざる暗黒の世界であった」

[考察]
字形から意味を導くのが白川漢字学説の方法である。多くの髪飾りをつけた女の姿→頭上が鬱陶しい→うみと意味を導く。海は知られざる暗黒の世界の意味だという。
前項の悔と同じ手法で意味を導いている。悔では頭上が鬱陶しい→重苦しく暗い心理状態→くいると意味を展開させる。本項では頭上が鬱陶しい→暗黒の世界と解したのであろう。
しかし髪飾りを盛んにつけた状態から、頭上が鬱陶しいという意味が出てくるだろうか。「毎」の項を見ると、「髪を結い髪飾りをつけた女の形」で、「いそしむ」の意味だという。どこから「頭上が鬱陶しい」「重苦しい」「暗い」の意味が出てくるのかわからない。
図形から意味を求めるのは根本的に間違っている。意味は言葉の意味であって、字形の意味ではない。意味は文脈でしか判断のしようがない。海(正字は海)は次のような文脈がある。
 原文:沔彼流水 朝宗于海
 訓読:沔たる彼の流水 海に朝宗す
 翻訳:あふれ流れる川の水 海にどっと注ぎ込む――『詩経』小雅・沔水

川が海に向かって流れて行き、海に注ぐことを述べている。海が最初から「うみ」の意味であることは明白。それ以外の意味は比喩に過ぎない。
ではなぜ「海」という表記が生まれたのか。ここから字源の話になるが、字源は語源と切り離せない。「海は晦(暗い)なり」が古代の普遍的な語源意識である。この語源説の根拠は次の三つ。
 (1)中国の辺境に住む民は礼儀や知識に暗いという説(漢代の古典学者)。
 (2)海はすべての汚れを受け入れるので黒くて暗いという説(漢・劉熙『釈名』)。 
 (3)海は空間的に遠くて暗い所という説(『荀子』楊倞注)。
海となじみのない上代人がたまたま海を見て、海の色を黒いと感じたとも考えられる。空間的な遠さと心理的な印象が重なって、遠くて暗い最果ての場所にあるのが「うみ」と捉えて、「晦」との同源意識が生じ、同じ音で呼び、同じ記号を用いて海が生まれたと考えられる。每は「悔」で説明した通り「暗い」というイメージを示す記号である。ただし「暗い水」の意味とするのは間違い。字形から意味が出てくるのではなく、意味をどう形に表したかを探るのが字源説の役割である。「うみ」の意味をもつ古典漢語を「每(音・イメージ記号)+水(限定符号)」で造形したとすれば済む。なぜ每かは、晦との同源意識があったからというのが答え。