「械」

白川静『常用字解』
「形声。音符は戒。説文に“桎梏なり”とあって、手足にはめる刑罰の道具の“かせ”であるという」

[考察]
白川漢字学説には形声の説明原理がない。それは言葉という視点がないのと関係がある。だからすべての漢字を会意的に説くのが特徴である。しかし本項は会意的に説くことも放棄している。
本項は字源の体をなしていない。
漢字を説明するにはまず古典の用法を調べ、次に語源を究明し、その後で字源の解明に進むべきである。械の用法は次の例がある。
 原文:斜谷之木不足爲我械。
 訓読:斜谷ヤコクの木は我が械と為すに足らず。
 翻訳:斜谷の木は私のかせにするには足りない――『漢書』公孫賀伝

先秦の古典では兵器(兵械)、からくり(機械)という意味で使われているが、「かせ」(手足にはめる刑具)の意味が最初であったと考えられる。文献への登場は必ずしも意味の展開の順でないこともある。
「かせ」の意味をもつ古典漢語がɦəg(呉音ではゲ、漢音ではカイ)であり、これを械で表記した。この語は戒(kəg)と同源と考えられる。同源ということは音とコアイメージが似ているということである。戒のコアイメージは「引き締める」である(150「戒」を見よ)。身を引き締め、用心することが戒である。この「引き締める」は心理的・身体的イメージだが、物理的イメージにも転用できる。すなわち物に力を加えて締めるというイメージである。これを日本語では「いましめる」という。漢字で書くと「縛める」である。「戒」にも「いましめる」という訓がついている。奇しくも日本語では心理的イメージの「戒」と物理的イメージの「縛」をともに「いましめる」と読む。ここにイメージ転化の普遍性を見ることができよう。
このように、古典漢語でも、「戒」の「引き締める」というコアイメージが「物に力を加えて締める」というイメージに転化するのである。械は「戒(音・イメージ記号)+木(限定符号)」と解析する。戒は「引き締める」「縛める」というイメージを表す。したがって手足を縛って自由を奪う木製の道具(すなわち手かせ・足かせ)を械というのである。