「階」

白川静『常用字解』
「形声。音符は皆。阜(阝)は神が天に陟り降りするときに使う神の梯の形。皆は神霊の降下を祈るのに応えて、神霊が並んで降る形であるから、階はもと神が天から降るための階段を意味するものであったろう。“きだ(段)、きざはし(階段)”の意味に用いる」

[考察]
白川漢字学説には形声の説明原理がなくすべての漢字を会意的に説く特徴がある。会意とはAの字形の意味とBの字形の意味を単純にプラスしてC(A+B)の意味を導く方法である。だから形の解釈がそのまま意味とされる。本項では
 阜(神が天に陟り降りする梯)+皆(神霊が並んで降る形)→神が天から降るための階段
という具合に意味を導く。大きな疑問は次の点である。
①神が天に上り下りする梯とは何のことか。そんものが存在するだろうか。宗教的実在か、観念か。古典における証拠があるだろうか。
②皆は神霊がそろって降ることから、「みな」の意味が出たというが(158「皆」を見よ)、本項では「並ぶ」とどう関係があるのか定かでない。神霊が列を作ってぞろぞろと階段を降るのだろうか。だとしたら、実に奇妙な風景である。

字形の解釈は何とでもできる。その解釈を意味と置き換えると、とんでもない意味が生まれる。階を「神が天から降るための階段」の意味とするのはその最たる例である。意味は字形にあるのではなく、言葉にある。意味とは言葉の意味である。言語学の常識を外れた文字学は非科学というしかない。
意味は古典の文脈における使い方、すなわち実例から求められる。階は次の用例がある。
 原文:師冕見、及階。
 訓読:師冕見(まみ)ゆるに、階に及ぶ。
 翻訳:師冕シベンが[孔子に]面会するため、階段までやってきた――『論語』衛霊公

階はきざはし、すなわち高い所に登るために造られた段々(階段)の意味であって、神とは何の関係もない。その意味をもつ古典漢語をkər(呉音ではケ、漢音ではカイ)といい、階という視覚記号で表記する。階はどんな意匠(デザイン)で考案されたのか。ここから字源の話になるが、字源は語源とともに検討しないと勝手な解釈に陥ってしまう。語源は皆という記号に含まれている。階のコアイメージの源泉が皆にあるのである。したがって階は「皆(音・イメージ記号)+阜(限定符号)」と解析される。音・イメージ記号が語の中心部分であって、限定符号は語の意味領域が何と関わるかを指定するだけである。きざはしは材料が木であったり、石であったり、いろいろだが、土を盛り上げて造る場合を想定して、「阜」(盛り上げた土の形)という符号が用いられた。皆は▯-▯の形に並ぶというイメージがあり、これが連鎖すると▯-▯-▯-▯の形に次々に並ぶというイメージに転化する(詳しくは158「皆」を見よ)。このイメージが階段のイメージであることは言うまでもあるまい。ただし段々に(順を追って)並ぶというイメージだけであって、高低のイメージは含まれていない。「上から下へ」「下から上へ」「上り下り」というイメージよりも、▯-▯-▯-▯の形に次々に並ぶというイメージに視点を置いたものである。