「懐」
正字(旧字体)は「懷」である。

白川静『常用字解』
「形声。音符は褱。褱は衣の中に眔(目から涙が垂れている形で、涙の意味)を加えている形。死者の襟もとに眔を注いで、死者を懐かしみ懐うことをいい、死者を弔うときの悲しみ惜しむ哀惜の思いを懷という」

[考察]
形から意味を導くのが白川漢字学説の方法である。図形の解釈がそのまま意味とされる。図形のどこから死者が現れたのか明らかでないが、懐は「懐う」で十分であるのに、「死者を弔うときの悲しみ惜しむ哀惜の思い」の意味とするから、余計な意味素が混入していると言わざるを得ない。
懐は古典でどんな意味で使われているのかを検討するのが先決である。次の用例がある。
 原文:有女懷春 吉士誘之
 訓読:女有り春を懐ふ 吉士之を誘へ
 翻訳:春を思う女がいる 良き男よ誘うがよい――『詩経』召南・野有死麕

懷は心の中に思いをいだくという意味で使われている。古典漢語ではこれをɦuərといい、懷の図形で表記する。懷は「褱カイ(音・イメージ記号)+心(限定符号)」と解析する。褱は衣の中に眔(なみだ)を入れた図形で、衣に涙を包み隠す情景を暗示させる。包むことから「丸い」「めぐる」「取り巻く」というイメージと、「丸い穴」「内部にあいた穴」というイメージを表す記号に用いられる。前者から懷、後者から壞が生まれた。心の中に思いを包む(囲い込む)状況を暗示させるのが懷の図形である。この意匠によって、胸の中に思いをいだくことを意味するɦuərの視覚記号とした。
思いをいだく意味(懐疑・感懐)のほかに次のような意味に展開する。中に包みこむというイメージから、子を宿す意味。これが懐妊・懐胎の懐。内部に包み入れる所、ふところの意味。これが懐中・懐剣の懐。また、丸く抱き込むようにこちらに寄せる(なつける)意味。これが懐柔の懐である。
コアイメージという概念を立てると、意味の展開がスムーズに捉えられ、合理的に理解できる。