「涯」

白川静『常用字解』
「形声。音符は厓。厓(がけ)は音符は圭、山すそが崖の状態になっているところをいう。水ぎわの岸が崖のようになっているところを涯といい、“みぎわ、はて”の意味に用いる。圭は土が壁状に重なってところで、とげとげしい状態であるから、啀(いがむ)・睚(まなじり)のように用いる」

[考察]
涯は「崖のようになっているところ」というが、「崖」の説明がない。また圭は「土が壁状に重なっているところ」というが、具体的には何のことかはっきりしない。これは「がけ」のことか。また圭は「とげとげしい状態」というが、涯の説明になるだろうか。
だいたい圭に「土が壁状に重なっているところ」という意味はない。土が二つ重なっている図形から無理に引き出した意味であろう。圭は先端が∧の形に尖った玉器の名である。漢字の造形法は実体よりも形態や機能に重点を置く。ここからイメージを捉えるのである。圭は「∧形をなす」というイメージを表す記号とされる。∧の形はᒥの形やᒣの形のイメージにもなる(115「佳」を見よ)。このイメージを用いて佳・厓(涯・崖)・街・掛・畦・窪・蛙・鮭などが造語・造形されるのである。涯はこれらのグループの一員である。
涯はどんな意味で使われているかを古典で確かめよう。
 原文:今殷其淪喪、若涉大水其無津涯。
 訓読:今殷は其れ淪喪せんとす。大水を渉りて其の津涯シンガイ無きが若(ごと)し。
 翻訳:今や殷は沈没しようとしている。水際のない大川を渡るかのようだ――『書経』微子

涯は水際の意味で使われている。水際は川の流れと陸地が接する所である。その形状によって涯・岸・渚・汀・頻(瀕)などが生まれる。海の場合には浜という。
古典漢語のngĕg→ngăi(呉音ではゲ、漢音ではガイ)は厓と表記され、ᒣ形をなす地形の意味である。山地にあるᒣ形のところを崖と書き、川の流域のᒣ形の場所を涯と書く。日本語では前者が「がけ」、後者が「みぎわ(水際)」である。要するにᒣ形という地理的特徴を捉えた語がngĕg(厓)である。これは「圭(音・イメージ記号)+厂(限定符号)」と解析できる。圭はᒣ形のイメージを示し、厂は⎾の形をしたもの(がけなど)に限定する符号である。