「慨」
正字(旧字体)は「慨」である。

白川静『常用字解』
「形声。音符は既。既は皀(食器)を前にして、食事をして満腹になり、後ろを向いておくび(げっぷ)をする人の形(旡)で、食事が既に既(おわ)るの意味となる。その姿が嘆くときのふるまいと似ているので、心をそえて“なげく” の意味となる」

[考察]
白川漢字学説には形声の説明原理がなく、すべて会意的に説くのが特徴である。既(食事が既におわる)+心→なげくと意味を導く。なぜ「なげく」の意味になるかは、食事をおえてげっぷをする姿となげく姿が似ているからという。しかし白川説では既は「食事が既におわる」の意味であって、「食事をおえてげっぷをする」という意味ではない。後者は既の図形的解釈である。ここから「なげく」の意味を導くのは会意の原理に反する。これは要するに形声の説明原理がないからである。

意味とはいったい何か。意味は「言葉の意味」であることは言語学の定義である。字形に意味があるわけではない。だから字形から意味を引き出すのは誤りである。では意味はどうして知るのか。それは古典の文脈から判断するしかない。用例がなければ意味もない。慨は次の用例がある。
 原文:孔子慨然歎曰嗚呼。
 訓読:孔子慨然として歎じて曰く、嗚呼。
 翻訳:孔子はため息をついて嘆いて“ああ” と言った――『荀子』宥坐

慨はため息をつく意味で使われている。日本語の「ためいき」は「失望・心配または感心したときなどに長くつく息」(『広辞苑』)である。胸にたまった息がアアとかハアーというような声になって出してくるのがため息である。古典漢語のk'əd→k'əi(呉音・漢音ではカイ)まさにそのような声が出ることを意味する。慨はその視覚的表記である。『詩経』では嘅と書かれている。
慨を分析すると「既(音・イメージ記号)+心(限定符号)」となる。ため息をつくのは心理と関わると見れば心が限定符号だが、声と関係があると見れば口が限定符号になる。既は「旡キ(音・イメージ記号)+皀(イメージ補助記号)」と解析する。旡が語の深層構造と関わる記号である。これは「愛」でも使われており、「(中身が)いっぱい詰まる」というコアイメージを示す記号である(3「愛」、271「既」を見よ)。「詰まる」は「ふさがる」「満ちる」というイメージにも転化する。皀は器に盛ったごちそうの形。したがって既はごちそうを腹いっぱいに食べた情景を暗示させる図形。既も「詰まる」「ふさがる」「満ちる」というイメージを表すことができる。かくて慨は胸がいっぱいになる(詰まる、ふさがる)状況を暗示させる。この意匠によって、胸がつまってため息をつくことを意味するk'ədを代替させる。