「革」

白川静『常用字解』
「象形。獣の革の形。頭から手足までの全体の皮をひらいてなめした形である。皮をなめし、仕上げた形が革で、“かわ” の意味となる。生の皮とすっかり異なるものとなるので、革は“あらたまる、あらためる”の意味となる」

[考察]
意味の展開の説明に問題がある。
日本語の「かわ(かは)」は「①動物の体を蔽う膜。表皮」と「②特に、獣類からはぎとった皮。革」(『岩波古語辞典』)の二つの意味があるが、漢字では①を皮、②を革といって区別する。
古典漢語のbiar(皮)のコアイメージは「覆う」「かぶさる」であるが、kək(革)は「ぴんと張り詰める」で、全く違う。それは皮と革の形態や機能の違いによる。皮は体表を覆うものだが、革は皮を乾かしたものである。だから革には「ぴんと張り詰める」というイメージがある。
白川は生の皮と異なるものとなるので革に「あらためる」の意味が生じたというが、これは皮相的な説明である。言葉という視点を欠くので、このような解釈が出てくる。語の深層構造を捉えないと意味の展開が分からない。
革という語の深層構造は「ぴんと張り詰める」というイメージである。物は古くなるとたるみが生じる。古くなってたるんだものに何らかの作用を及ぼして、ぴんと張り詰めた状態にする。ここから「旧態を脱して新しい状態になる(あらたまる、あらためる)」という意味が生まれる。これをkəkというのである。これは革と同音である。はぎとった皮はたるみがあるが、陰干しすると水分がぬけて張り詰めた状態になる。これもkəkという。後者の語が先にあって、前者の語がこれから派生展開したと見ることができる。「かわ」と「あらためる」は意味領域の違う言葉だが、コアイメージが共通するのである。
革は動物の皮をぴんと張って陰干しする情景を図にしたもの。「廿」は頭の部分、それ以外は胴・四肢の部分。要するに動物の皮の全形である。革は漢の右側、僅の右側などに含まれている。また「廿」だけを切り取ったものが、黃・庶・席・度・滿などに含まれている。