「覚」
正字(旧字体)は「覺」である。

白川静『常用字解』
「形声。音符はA。学校の校舎は千木(交叉した木)があり、Bが學のもとの字。教え導くので左右に手(𦥑)を加えてAとなり、その下に学ぶ子を加えて學となった。Aには学ぶという意味があり、学ぶことによって知見(知識)が得られるので、Aの下に見を加えて知覚(さとること)の意味に用いる」
A=[覺-見](覺の上部)。B=[メ+介](縦に書いた形)。

[考察]
字形から意味を導くのが白川漢字学説の方法である。A(学ぶ)+見(知見)→知覚(さとる)の意味を導く。知見を学ぶことが知覚(さとる)という意味になるという。
古典における覺の使い方は「さめる」が最初で、「さとる」の意味はそれからの展開である。
①原文:我生之後 逢此百憂 尚寐無覺
 訓読:我が生の後 此の百憂に逢へり 尚(ねが)はくは寐(い)ねて覚むること無からん
 翻訳:わが人生の末に もろもろの憂いに出会った 目を閉じてもう目覚めたくない――『詩経』王風・兎爰
②原文:先覺者是賢乎。
 訓読:先に覚る者は是れ賢ならんか。
 翻訳:誰よりも先に察知する者こそ賢者ではあるまいか――『論語』憲問

①は「さめる」の意味、②は「さとる」の意味で使われている。
覺と學は音が似ており、共通の記号を含む。もしコアイメージも共通ならば同源の語といえる。A(學の上の部分)が共通で、その記号に含まれる「爻」が根幹のイメージを提供する記号である。爻は×(交差の符号)を二つ重ねて、二つのものが交差することを示している。交差を図示すると↙の方向の符号と↘の方向の符号が交わるので、×の形にも⇄の形にも表せる。學は「まなび、おしえる」ことから発想された語で、先生が→の方向に知識を授けると、生徒は←の方向に受け取る。知識の授受は⇄(交差)のイメージをもつ行為である。古典漢語では「まなぶ」ことを學といい、「おしえる」ことを敎という。敎にも「爻」の記号が含まれている。
さて覺は「學の略体A(音・イメージ記号)+見(限定符号)」と解析する。略体は本体の音・イメージ記号を引き継ぐ。學のコアイメージは「×の形、あるいは⇄の形に交差する」である(192「学」を見よ)。見は見る、見える、現れるなどの知覚と関係があることを示す限定符号である。眠っているときは物が見えない。目がさめると知覚のはたらきが→の方向に起こり、外界の物の像が←の方向に目に入ってきて、物の姿を捉えるようになる。目がさめるとこのような事態が起こる。逆にこのような事態が起こったことが「さめる」という感覚の明証でもある。かくて「目がさめる」ことを意味する言葉が學と同源の「交差」のイメージをもつ語群と関係づけられて造語され、さらに「學の略体」と「見」を合わせた「覺」によって造形された。以上が覺の語源と字源の説明である。