「隔」

白川静『常用字解』
「形声。音符は鬲レキ。鬲は壺形の土器で、底が尖っているものや三本の脚があるものがあり、地面に立てることができる。このような中が空虚な器は霊を宿すことができるものであると考えられ、神聖な地域の周辺に並べて埋めこみ、境界とすることがあった。それぞれの聖域に出入りするときには、鬲で酒を注ぎ、あるいは飲む儀礼が行われていたようである。隔は神が天に陟り降りするときに使う神の梯(阝)の前に鬲を置く形で、これによって聖と俗とを隔てることになる。隔はもと聖と俗とを隔て区別するの意味であったが、のちすべて両者の物を“へだてる、仕切る”の意味に用いる」

[考察]
疑問点①空虚な器が霊を宿すとか、神聖な地域の周辺に鬲を並べて埋めて境界にするとか、聖域に出入りするとき鬲で酒を注いだり飲んだりする儀礼が行われたというが、古典に証拠があるだろうか。省略した箇所に「わが国の古代の天皇などの墓である陵墓の周辺に、埴輪を埋めるのと同じような考え方」とあるように、日本の風習を中国に当てはめただけである。「ようである」という通り推測(臆測)に過ぎない。
②隔の字形は阝(神が天から上り下りする梯)と鬲(土器)の組み合わせで、これから「聖と俗を隔て区別する」という意味が出るだろうか。そもそも聖と俗を区別するとは何のことか。何のためか。鬲を埋めて境界にし、それで結界を作るということか。字形からこんな意味は読み取れそうにない。
字形から意味を導く学説は限界がある。意味の導き方に無理がある。恣意的といっても過言ではない。
まず言葉から出発し、それが古典でどのように使われているかを調べるべきである。言葉の意味は文脈からしか判断のしようがない。次の用例がある。
 原文:一人之力能隔君臣之間。
 訓読:一人の力、能く君臣の間を隔つ。
 翻訳:一人の力だけで君臣の間を分け隔てることができる――『韓非子』難一

日本人は隔に「へだてる(へだつ)」の訓をつけた。日本語の「へだつ」は「二つの物の間に境界を立てて、互いに見えず、行き来できなくするのが原義」という(『岩波古語辞典』)。上の隔の用法と同じである。古典漢語では「(空間的に)二点間を分けへだてる」ことをkĕk(呉音ではキヤク、漢音ではカク)といい、この聴覚記号に対する視覚記号を隔とした。これは「鬲(音・イメージ記号)+阜(限定符号)」と解析する。鬲は三本足の蒸し器(かなえの一種)の図形である。漢字の造形法では実体よりも形態や機能に重点を置く。「かなえ」という実体よりもその形態からイメージが取られる。鬲の構造は、上が食材を蒸す部分、空洞になった下の足が水を入れて煮沸する部分であり、上下は仕切られている。図示するとA←|→Bの形である。阜は積み重ねた土(土盛り、丘、山など)と関係づける限定符号。したがって隔は山や丘によって←|→の形に分けられている情景を暗示させる。この図形的意匠によって、「二点間を分けへだてる」の意味をもつkĕkを表記する。
イメージ展開を考える。AとBが仕切りによって上下(あるいは左右)に分かれているというのが基本のイメージである。|の部分に焦点を当てれば仕切りや隙間のイメージ(間隔の隔)、←→の部分が長ければ、空間的に遠くへだたるという意味になる(遠隔の隔)。空間のイメージは時間にも転用できる。時間的に間があいている意味(隔日の隔)になる。