「看」

白川静『常用字解』
「会意。手と目とを組み合わせた形。目の上に手をかざしてものを“みる” の意味である。看は手をかざして遠くを見る、また、しげしげと見るの意味である」

[考察]
白川漢字学説には言葉という視点が全くない。だから字形から意味を導くほかはない。「手+目」という字形から、手をかざして遠くを見るという意味を導く。
形から意味を求めるのは根本的な誤りである。意味は形にあるのではなく、言葉にある。言葉の使い方から意味を求めるべきである。したがって古典における具体的な文脈を調べることから出発しないといけない。またその際には語源的な探求が必要である。看には次の用例がある。
 原文:其姉往看之。
 訓読:其の姉、往きて之を看る。
 翻訳:彼の姉が彼の様子を見に行った――『韓非子』外儲説左下

看はどんな様子かを伺い見る意味で使われている。これを古典漢語ではk'anという。この語は瞯(隙間から覗き見る)や俔(隙間を伺うスパイ)などと同源の語である。
k'anの視覚記号である看は「手+目」というきわめて舌足らず(情報不足)な図形で、何とでも解釈できるが、語源に従って解釈すると、対象の様子がよく見えるように手をかざして視線を走らせる情景と見ることができる。この意匠によって注意深く様子を伺い見ることを暗示させる。
「どんな様子かを伺い見る」という意味は看視・看破の看である。看護・看病の看は「一つの所を注意深く見張る」という意味で、転義である。