「敢」

白川静『常用字解』
「象形。金文の字形は、杓で鬯酒(お祭り用の香りのついた酒)を汲み取り、祭祀の場所を清める儀礼を示す。それは神を招くときの儀礼であり、謹んで行うことから、“つつしむ” の意味となる。その行為はおそれ謹みながらする行為であるから、“あえて”(思い切って)の意味となる」

[考察]
金文の字形からそのような儀礼を読み取ることができるのか全く不明。証拠がない。また意味の展開に合理性がない。神を招く儀礼→謹んで行う→つつしむ、また、おそれ謹みながらする行為→あえて、と意味を導くが、敢に「謹む」という意味があるか、疑わしい。「おそれ謹む」→「あえて」の意味展開も理解しがたい。
字形から意味を求めるのは無理である。意味をどう図形に表したかを考えるべきである。形→意味の方向ではなく、意味→形の方向に漢字を見るのが正しい漢字の見方である。では意味はどこにあるのか。古典の文脈にある。語の使い方こそ意味である。次の用例がある。
 原文:豈不爾思 畏子之敢
 訓読:豈(あに)爾(なんじ)を思はざらんや 子シの敢へてせざるを畏る
 翻訳:あなたのことが好きでたまらないのに あなたが思い切って[駆け落ち]しないのが怖いのよ――『詩経』王風・大車

敢は思い切って何かをやる(やる勇気がある)という意味で使われている。勇敢・敢行の敢は思い切りがよい、勇気があるという意味で、動詞的にも形容詞的にも副詞的にも使われる。
古典で「敢は犯なり」の訓がある。犯は枠を突き破るというイメージ、あるいは、覆い被さる枠をはねのけてむりやり突き進むイメージである。敢もこれに似ている。→の形に来る力に対抗して、こちらから←の形にむりに突き進んでいく、単純化すると「かぶさる枠をはねのける」というのが敢のコアイメージである。むりをしてでも思い切ってやることが果敢・勇敢ということだ。
このように、困難を押しのけて思い切って行うことを古典漢語でkamといい、敢の視覚記号が考案された。これはどんな意匠がこめられているのか。楷書は分析が難しいが、篆文は「古+爪+又」になっており、さらに金文に遡ると「甘+爪+丿+又」に分析できる。字体は変化することがある。甘は「中に含む」というイメージがある(206「甘」を見よ)。これは「枠の中に封じ込める」というイメージに転化する。「爪+又」は両手である。両手の間に丿の符号を入れて、両手で力をこめて何かを引き合う情況を示す。かくて「甘(音・イメージ記号)+爪+丿+又(三つでイメージ補助記号)」を合わせて、封じ込められた枠をはねのけようと、強い力をこめる情況を暗示させる。これが敢の図形的意匠である。これでもって、強い力や意志をもって困難や圧力をはねのけて行うこと、つまり思い切ってやることを表している。