「歓」
正字(旧字体)は「歡」である。

白川静『常用字解』
「形声。音符は雚カン。雚は鸛(こうのとり)で神聖な鳥とされ、鳥占いや祈禱に使われたものと思われる。欠は口を開いて立つ人の姿で、声を出して祈ることをいう。歓とは雚を用いて祈り、祈り願うことが実現することを“よろこぶ”の意味であろう」

[考察]
字形から意味を求めるのが白川漢字学説の方法である。雚(こうのとり)+欠(声を出して祈る)→こうのとりを用いて祈り、祈り願うことが実現することをよろこぶ、と意味を導く。
図形の解釈をストレートに意味としている。図形的解釈と意味を混同するのが白川学説の特徴の一つである。
いったい意味とは何か。意味は言葉の意味であって字形の意味ではない。白川学説には言葉という視点がないから、形声文字を解釈する原理がない。だから会意的にA+B=Cという具合にのっぺりと意味を足し算する。その結果余計な意味素が混入する。上の「雚を用いて祈り・・・実現することを」は余計であって、意味はただ「よろこぶ」である。
古典漢語では日本語の「よろこぶ」に当たる語に喜・悦・慶・欣などがあるが、それぞれコアイメージが異なる。歓はどんなよろこび方か。にぎやかによろこび楽しむことである。これをhuanといい、歡の図形で表記する。これは「雚(音・イメージ記号)+欠(限定符号)」と解析する。雚については229「勧」で述べたように「▯-▯の形に並ぶ」「左右にバランスよくそろう」というコアイメージがある。二つでなくてもよい。「(いくつかのものを)一緒に合わせそろえる」というイメージにも転化する。欠は大口を開けて行う行為や動作に関係づける限定符号。したがって歡はみんなが一緒に声を合わせてわいわいと喜びはしゃぐ情景を設定した図形である。この図形的意匠によって、みんなで喜びの声を上げてどよめくことを表す。一人で悦に入るよろこび方ではなく、みんなでにぎやかに楽しむよろこび方である。歓喜・歓楽の歓はこれである。歓会は宴会のことで、飲酒・宴会をして楽しむという意味も生まれる。