「含」

白川静『常用字解』
「会意。今と口とを組み合わせた形。今はもと壺型の器の栓のある蓋の形である。含は人が死亡したとき、その死気が抜け出ることを防ぐために、玉を口に含ませて蓋をすることで、“ふくむ、ふくませる” の意味となる」

[考察]
白川漢字学説はすべての漢字を会意的に説く。CがAとBの組み合わせの場合、Aの意味とBの意味を合わせた意味をCの意味とする。今(器の蓋)+口(くち)→人が死亡したとき玉を口に含ませ蓋をする、と意味を導く。
今と口という極めて舌足らず(情報不足)な図形から人の死亡や玉の情報を読み取って、口に玉をふくませる意味とした。白川漢字学説では口を含む字はほとんどの場合、口をㅂ(祝詞を入れる器)とするのが通例だが、本項では人間の「くち」とする。「口」を「くち」とする根拠はないというのが白川説のはずだが、不統一の感は免れない。

意味は形にあるのではなく言葉にある。だから言葉から出発すべきである。古典では次の用例がある。
 原文:醫善吮人之傷、含人之血、非骨肉之親也。
 訓読:医は善く人を傷を吮(す)ひ、人の血を含むも、骨肉の親に非(あら)ざるなり。
 翻訳:医者は他人の傷を吸ったり、血を口に入れたりするが、親戚というわけではない――『韓非子』三守

含は口の中に入れる(ふくむ)の意味で使われている。これを古典漢語でɦəm(呉音ではゴム、漢音ではカム)といい、視覚記号として含が考案された。これは「今(音・イメージ記号)+口(限定符号)」と解析する。今は「かぶせてふさぐ」というイメージがある(601「今」を見よ)。したがって含は口の中に物を入れて口蓋でふさぐ状況を暗示させる。含に死者や玉の情報は含まれていない。琀(死者の口に含ませる玉)は含から派生する字である。