「願」

白川静『常用字解』
「形声。音符は原。説文に“大きな頭なり”、爾雅に“思ふなり” とある。深く思うことから、“ねがう”と言う意味になったのであろう」

[考察]
白川漢字学説には形声の説明原理がなく、すべて会意的に説くのが特徴である。しかし本項では原からの解釈がなされていない。字源を放棄している。
古典における用例を見てみよう。
 原文:願言思伯 甘心首疾
 訓読:願ひて言(ここ)に伯を思へば 首疾に甘心す
 翻訳:ひたすら伯さんを思い詰めれば じっとこらえる頭の痛み――『詩経』衛風・伯兮

願は一つのことをひたすら(一途に)思い詰める意味で使われている。 原は源のもとの字で、「丸い」というイメージがある(492「原」を見よ)。原と元は同源である。元も「丸い」というイメージがある。そうすると頑と願は区別がつかなくなる。『説文解字』では「頑は㮯頭(丸い頭)なり」「願は大頭なり」としており、これでは頑と願の区別も分からないし、意味も分からない。元と原はともに「丸い」というイメージである。イメージを図示すると〇の形である。これは「未分化」「のっぺらぼう」のイメージで、さらに「分けられない」「判断できない」→「道理が分からない」とイメージが転化する。「愚かで物が分からない」を意味するのが頑である(253「頑」を見よ)。
一方、〇のイメージは、「未分化」→「事態を二つに分けられない」という転化を経て、「意識が一つのことに囚われて他に分けられない」というイメージを作り出し、一途に思い詰める心理状態を表す語に展開する。これが願である。
かくて「原(音・イメージ記号)+頁(限定符号)」を合わせた願は、一つのことだけに囚われてひたすら思い詰める心理を暗示させる。