「危」

白川静『常用字解』
「形声。音符は厃キ。危は高い厂(崖の形)の上から人(⺈)が跪いて下を見ている形で、“あぶない、あやうい” の意味となる。厃が危のもとの形。危は跪いている人(⺋)の形を崖の下に加えている字である」

[考察]
危を厃と⺋に分け、厃が危の原字で、⺋は後に付け足したものとしている。厃と⺋に分ける字源説は『説文解字』にも見える。白川は、人が高い崖の上で跪いて下を見ていることから、「あぶない」の意味を導くが、厃は意味表象として果たして十分な図形だろうか。『説文解字』では「厃は仰なり」とある。「おそれる」という意味に取る説もある。厃は単独字として字書にあるが、実際に使われた形跡はない。むしろ危から切り取った字ではなかろうか。

日本語の「あぶない(あぶなし)」とは「無考えに行動して、人に迷惑をかけそうだの意」、「あやうい(あやふし)」とは「周囲の状況から推察して、物事自身が壊れ、そこなわれそうだの意」という(『岩波古語辞典』)。漢字の危は「あやうい」に近く、バランスを欠いて今にも崩れそうであるという意味だ。そうすると、この意味表象としては厃は舌足らずであり、「⺈+厂+⺋」の三つを合わせた危が相応しい。林義光(中国の文字学者)も「人、厂の上に在り、厂の下に在るを象る形」と分析している。
かくて「 ⺈(=人。正常に立つ人)+厂(がけ)+⺋(=卩。膝を曲げてかがんだ人)」と解析する。これをどう解釈するか。三つの符号を単純にプラスするのではない。漢字は図形だから、静止画像しか表せない。しかし意味表象は動きを伴う場合もある。この図形も動画風に読む必要がある。つまり崖の上に立っている人が、崖から落ちて、うずくまった状態になるという連続した動きを見るのである。落ちた状態は「バランスを欠いて傾く」というイメージである。古典漢語のngiueg(呉音・漢音でグヰ)は「バランスを欠いて傾く」というコアイメージをもつと言える。このコアイメージが具体的文脈で実現されると「不安定で今にも崩れそうでなる(あやうい)」の意味になるのである。『論語』に「士は危ふきを見て命を致す」(士は国のあやうさを見て、命を投げ出すものだ)という用例がある。