「疑」

白川静『常用字解』
「象形。古い字形は𠤕に作り、杖を立てた人が後ろを向き、進むか退くかを決めかねて立ち止まっている形。心が迷っている様子を示している。𠤕に後ろ向きの人の形をそえた形が𠤗、さらに足の形を加えて進退に迷うの意味を示した形が疑で、“うたがう、まどう”の意味となる。もとは進もうとかどうしようかと自分で疑い迷うという意味であったが、のちすべて疑念のあることをいい、他人を“うたがう”の意味となった」


[考察]
甲骨文字や金文だけを扱い、肝心の疑の解剖がない。疑には子が含まれている。これを落とすのは不十分な字解である。また意味の展開にやや問題がある。それは言葉という視点が抜け落ち、意味の展開を説明する方法論がないからである。意味の展開は深層構造におけるコアイメージによって生起するのである。
言葉から出発するとどう解釈できるか。まず疑の用例を見てみよう。
①原文:靡所止疑 云徂何往
 訓読:止疑する所靡(な)く 云(ここ)に徂(ゆ)き何(いづこ)に往かん
 翻訳:足を止める場所がなく どこに行くかあてもない――『詩経』大雅・ 桑柔
②原文:去邪勿疑。
 訓読:邪を去ること疑ギする勿れ。
 翻訳:邪悪を除くことにためらってはいけない――『書経』大禹謨
③原文:居之不疑。
 訓読:之に居りて疑はず。
 翻訳:その立場にありながら迷いもしない――『論語』顔淵

①はじっと止まる(立ち止まる)の意味、②はぐずぐずとためらう意味、③は判断がつかず迷う意味で使われている。古典漢語のngiəgの意味はこの順序で展開し、最後に「不審な事態に対して是非を決めかねる(うたがう、うたがわしい、うたがい)」の意味に展開する。これらの意味をもつ聴覚記号を表記するために考案されたのが疑という視覚記号である。この図形はどんな意匠があるのか。ここから字源に移る。
字体は𠤕→𠤗→疑と展開する。𠤕は単独字とはなっていないが、後に𠤗と書かれる。𠤕と𠤗は同字と考えてよい。疑は「𠤕または𠤗(ギ)(音・イメージ記号)+子(イメージ補助記号)+止(限定符号)」と解析する。𠤕・𠤗は足を止めて後ろを振り返って見る人を描いた図形。止は足(foot)の形で、足と関係があることを示す限定符号。したがって疑は親が子を振り返って足を止める情景を設定した図形である。この意匠によって、「進行するものが何かにつかえてストップする」「つかえて止まる」というイメージを表すことができる。このイメージこそngiəgという語のコアイメージである。
①はコアイメージがそのまま表層に現れた意味。②は何かにつかえて前に進めずぐずぐずすること。ためらうのは心理と関わるから、③の何かに迷って思考を中断させるという意味が生まれる。ここから、不審な事態に対する判断が心中にとどまって決着がつかないという意味が生まれる。これに日本では「うたがう」という訓を与えた。
言葉のコアイメージを捉えることが意味の展開を合理的に説明できる。