「儀」

白川静『常用字解』
「形声。音符は義。義は羊を鋸で二つに切り離し、その羊が神に供える犠牲として完全であることを確かめ、犠牲として義(ただ)しいものであるという意味の字である。そのいけにえの字としてはのち犠を使う。犠牲を供えて行う儀式のときの礼儀作法にかなったおごそかな姿を儀といい、“ようす、ただしい、のり” の意味となる」

[考察]
字形から意味を導くのが白川漢字学説の方法である。「羊+我(鋸)」というわずかな情報から、羊を鋸で切り離す→羊が神に供える犠牲として完全である(義しい)→犠牲を供えて行う儀式の時の礼儀作法にかなったおごそかな姿、と意味を導く。
図形的解釈と意味を混同するのが白川漢字学説の特徴の一つである。図形的解釈をそのまま意味とするから、余計な意味素が混入し、どこまでが意味なのか曖昧である。上のような意味が儀にあるだろうか。
意味とは言葉の使い方である。文脈で使用される際に現れるものである。文脈を離れては意味はない。儀の用例を見てみよう。
①原文:相鼠有皮 人而無儀
 訓読:鼠を相(み)れば皮有り 人にして儀無し
 翻訳:ねずみを見ると皮があるが [あいつは]人間なのに振る舞いがなってない――『詩経』鄘風・相鼠
②原文:儀既成兮
 訓読:儀既に成る
 翻訳:儀式はすでに完成した――『詩経』斉風・猗嗟

①はきちんと整った振る舞いやみなりの意味、②はきちんと整った形式や作法の意味で使われている。古くから義と儀の同源意識があった。だからコアイメージは儀と義は共通で、「形がきちんと整っている」ということである(297「義」を見よ)。①の意味の古典漢語はngiar(呉音・漢音でギ)であり、義と同源であるので、「義(音・イメージ記号)+人(限定符号)」を合わせて、人の整った振る舞いを暗示させた。
字形から意味を導くと何とでも解釈できるが、言葉という視点(語源)から見ると、恣意的な解釈に歯止めをかけることができる。