「九」

白川静『常用字解』
「象形。身を折り曲げている竜の形。数の“ここのつ” の意味に用いるのは、その音を借りる仮借の用法である」

[考察]
九の字源については曲がった鈎、尾を曲げる虫、竜蛇、地面を踏む動物の足、食指を曲げた形等々があり、諸説紛々である。これでは数詞の「ここのつ」を説明できないので仮借説が取られる。漢数字の一・二・三以外はたいていが仮借とされる。
しかし仮借説は奇妙である。AとBが同音だからAの代わりにBを借りるというのが仮借説だが、九の場合、竜の音と九の音が同じと言えるだろうか。白川は「竜に虫(キ)の形と九の形があり、九は竜の頭が岐れている形で、おそらく雌の竜であろう」と述べているが、雌の竜をキュウと呼んだという証拠はない。もし雌の竜をキュウといい、九で表記したというなら話は分かるが、全く証拠のないことである。九は甲骨文字の段階で数の「ここのつ」の意味で使われている。竜の音を借りてキュウと読んだというのは想像の域を出ない。九という数詞はもともとkiog(周・漢の上古漢語音)であり、殷代でもこれと類似した音と推定される。
以上の通り、九の仮借説はおかしい。他は推して知るべしである。
なぜ数詞の「ここのつ」(英語のnine)をkiogといい、これの視覚記号を九としたのか。これの理由を考えるには言葉の深層構造を探る必要がある。古人は「九は究なり」という語源意識をもっていた。究の基幹記号として九が使われていることが重要なヒントを与える。究極の究(きわまる)は最後まで突き詰めることである。最後のどんづまりまで来るというのが九のイメージだと分かる。漢数詞は1から数えて9で終わり、次の数から新しい単位をつけて数えるというシステムである。これが十進法である。だから9は基数の最後の数である。古人の「九は究なり」の語源説はこれに由来する。
ではなぜ九という図形が考案されたのか。九は又や丑、また勻(均の右側)や旬の「勹」の部分とよくと似た形である。これらは手や腕の一状態を象っている。これから類推して、九は手や腕を伸ばそうと出しながら途中で曲げる情景と考えられる。この情景から「何かにつかえて曲がり、それ以上は伸びない」というイメージ、要するに「これ以上は進めないどん詰まりに来る」というイメージが読み取れる。このように「どん詰まり」「最後の地点」というイメージを表す記号として九の図形が考案されたのである。
もちろん数は「ここのつ」が最後ではないが、十進法の基数としては最後の数である。これを古典漢語ではkiogといい、九という視覚記号で表記するのである。九は最初から数詞の名であった。