「窮」

白川静『常用字解』
「会意。穴と躬とを組み合わせた形。穴の中に躬(み)をおく形であるから、窮屈の意味となる。極度に狭い所に身を折り曲げて入りこむので、“きわまる”という意味になる」

[考察]
形声の説明原理がないのが白川漢字学説の特徴である。だからすべて会意的に説かれる。穴(あな)+躬(み)→穴の中に身を置く→窮屈と意味を導く。また極度に狭い所に身を折り曲げる→きわまると意味を導く。
会意的方法とはCが「A+B」の場合、Aの意味とBの意味を合わせた「A+B」をCの意味とするもの。白川漢字学説の方法はこれに尽きる。要するに字形から意味を導く方法である。
躬は明らかに窮と同音である。だから躬は音符であるはず。形声の説明原理は会意とは違う。語を深層構造のレベルに掘り下げて、語源的に説くのが形声の説明原理である。

窮では躬が深層構造を示す標識である。躬のコアイメージを捉えることが重要である。躬は弓が基幹記号(コアイメージを示す部分)である。弓は「◠形や)形に曲がる」というイメージがある(316「弓」を見よ)。躬は躳とも書かれる。呂も「彎曲する」「)に曲がる」というイメージがある(329「宮」を見よ)。したがって躬は)の形に彎曲した体を表す。躬も「◠形や)形に曲がる」というイメージを示す記号になる。漢語意味論では「曲がる」というイメージは「行き詰まる」というイメージに転化することがある(324「究」を見よ)。「行き詰まる」は「最後の所でつかえて止まり、それ以上は進めない」と言い換えてもよい。かくて窮(篆文では竆)は穴の奥まで来て止まり、先に進めず行き詰まる情景を暗示させる。この図形的意匠によって、ぎりぎりの所まで来て行き詰まることを意味する古典漢語giong(呉音ではグまたはグウ、漢音ではキュウ)を表記する。日本語の「きわまる」に当たる。