「去」

白川静『常用字解』
「会意。大と𠙴(キョ)とを組み合わせた形。大は手足を広げて立っている人の形。𠙴はᄇ (祝詞を入れる器の形)の蓋を外して、祝詞が無効であることを示す。古い時代には、裁判は祝詞を唱え、偽りがあれば罰を受けますと神に誓って行う神判の形式で行われた。神判に敗れた者(大)は殺され、祝詞が不正であったのでᄇの蓋を取った𠙴とともに棄てられた。去は“すてる”というのがもとの意味である」


[考察]
「大+𠙴」という僅かな情報から壮大な物語を読み取って、去を「すてる」の意味とする。古典の注釈に「去は棄なり」がないではないが特殊な文脈に使われ、「去は違(さ)るなり」や「去は除くなり」が一般的である。
疑問点①祝詞は唱える言葉であって、これを器に入れるとはどういうことか。②祝詞が無効とはどういうことか。器の蓋を外すのがなぜ祝詞の無効を示すことになるのか。③祝詞を唱えて行う神判という裁判の証拠があるだろうか。④大が神判に敗れた者を意味するだろうか。⑤祝詞を入れる器を棄てるから「すてる」の意味が出たというが、「大+𠙴」の形からその意味を引き出すのは迂遠ではないか。
疑問だらけである。字形から意味を導くのは誤りである。なぜなら意味は言葉に属するものであって、字形に属するものではないからである。言葉の意味は文脈からしか判断のしようがない。去は次のような文脈で使われている。
①原文:逝將去女 適彼樂土
 訓読:逝(ここ)に将に女(なんじ)を去り 彼の楽土に適(ゆ)かん
 翻訳:さあお前のもとを去り 憂いのない国へ行こう――『詩経』魏風・碩鼠
②原文:去其螟螣 及其蟊賊
 訓読:其の螟螣メイトクを去り 其の蟊賊ボウゾクに及ぶ
 翻訳:ズイムシ・イナゴを除き 根切り虫・ヨトウも追いやった――『詩経』小雅・大田

①はその場から引き下がって離れる(さる)の意味、②は引き下がらせる(取り下げる、除く)の意味で使われている。この意味の古典漢語がk'iag(呉音ではコ、漢音ではキョ)である。この聴覚記号を視覚記号に換えて去とした。これはどんな意匠をもつ図形か。
去は「大+𠙴」に分けられる。𠙴は底のくぼんだかごの形で、𥬔(飯を入れる器)の原字で、キョと読む。ただし実体に重点があるのではなく形態に重点があり、「上から下の方にへこむ」というイメージだけを取る。視点を垂直の軸から水平の軸に変えると、このイメージは「一線から後ろの方に引き下がる」というイメージに転化する。大は人の形で、人と関係のある場面に限定する働きがある。したがって「𠙴(音・イメージ記号)+大(限定符号)」を合わせて、人が一線から後ろに引き下がる情景を設定した図形。この図形的意匠によって、①の意味をもつk'iagという語を表記する。