「虚」
正字(旧字体)は「虛」である。

白川静『常用字解』
「形声。音符は虍。 虍の下部はもと丘の形。丘は古くは都が建設された場所であったので、神聖な建物や墓地があった。都が荒れはて、建物の跡や墓地だけがとり残されたものを故虚という。虚は墟のもとの字である。虚は廃墟の意味から、現存しないもの、“むなしい”の意味となる」

[考察]
形声の説明原理がなく、すべて会意的に説くのが白川漢字学説の特徴である。しかし本項では虍からの説明ができず、虛(異体字は虗)の下部の丘だけから説明している。丘は都が建設された場所で、都が荒れはて廃墟になったものが虗であるという。しかし丘(都のある場所)からなぜ廃墟の意味が出るのか説明がない。唐突な感じである。
字形から意味を導くのが白川漢字学説で、言葉という視点が欠けているから、意味の展開に必然性、合理性がない。
意味は言葉の意味であって、文脈からしか判断のしようがない。文脈のないところに意味はない。古典では虚は次のように使われている。
①原文:升彼虛矣 以望楚矣
 訓読:彼の虚に升(のぼ)り 以て楚を望む
 翻訳:大きなおかに登り立ち 楚のあたりを眺めやる――『詩経』鄘風・定之方中
②原文:虛而爲盈。
 訓読:虚しくして盈(み)てると為す。
 翻訳:空っぽなのに充実していると見せかける――『論語』述而

①は「おか」の意味、②は空っぽ(中身がない、むなしい)の意味に使われている。これらの意味をもつ古典漢語がhiag(呉音ではコ、漢音ではキョ)であり、その視覚記号を虛とした。これを分析すると「虍+丘」になる。 虍がイメージに関わる記号である。虍は虎の上の部分で、特に頭に焦点を当てる記号。虎の頭は丸みを帯びているので「◠形をなす」というイメージを表すことができる。◠の形は視点を変えると◡の形にも転化する。これは「へこむ・くぼむ」のイメージである。「おか」は◠の形に土が盛り上がった小山である。これを表すのが「虍(音・イメージ記号)+丘(限定符号)」を合わせた虛である。一方、虍は「くぼむ」のイメージから「空っぽ」のイメージに転化する。人が住まなくなり空っぽになった所(都跡)という意味を虛で表すようになった。ここから言葉の意味は次々に展開し、空っぽ(むなしい)→真実がない(うそ、いつわり)→備えがないこと→邪心がない(謙虚・虚心坦懐)という意味になった。