「許」

白川静『常用字解』
「形声。音符は午。午は御の古い字形では幺(糸たばを拗じった形)を拝んでいる形で、その糸たばは神に祈るときに使った霊の力をもつ呪物であった。幺はのち午(杵)の形となる。杵形の午を拝んで神に祈り、これに応えて神が降って来て、祈りをきき入れ、許すのである。許とは、もと神が“ゆるす”ことをいう」

[考察]
字形から意味を導くのが白川漢字学説の方法である。形声の説明原理がないからすべて会意的に説かれる。「言+幺(糸たば)あるいは午(杵形の糸たば)」の形から、神が許すの意味を導くが、その意味展開は納得できるものではない。霊力をもつ糸たばを拝んで神に祈ると、神が下って祈りを聞き入れ許すというが、なぜ神が許したことが分かるのであろうか。神が許すということがどういう事態か理解しがたい。
許にそんな意味はあり得ない。意味とは字形から出るものではなく、言葉の文脈における使い方である。古典の用例を見てみよう。
①原文:伐木許許
 訓読:木を伐ること許許たり
 翻訳:木を切る声がエイエイホー――『詩経』小雅・伐木
②原文:爾之許我、我以璧與珪歸、俟爾命。
 訓読:爾の我を許さば、我、璧と珪とを以て帰り、爾の命を俟たん。
 翻訳:もしあなたが私の言うことを聞いてくれるなら、私は璧と珪をもち帰り、あなたの指図を待ちます――『書経』金縢

①は擬音語で、労働するときの掛け声を表す言葉、②は相手の言うことを聞き入れる意味である。古典漢語で①はhag(呉音でク、漢音でコ)、②はhiag(呉音でコ、漢音でキョ)であって音が僅かに違う。しかしともに許と表記され、言葉の深層構造に共通のコアイメージがある、つまり同源の語なのである。それは「⇄の形に交差する」というイメージである。このコアイメージを示す記号が午である。午は杵の形である(515「午」を見よ)。杵は臼などで餅などを搗く道具である。ただし実体に重点があるのではなく、形態や機能に重点がある。杵で搗く際には→の方向に搗いた後、←の方向に挙げて、この動作を繰り返す。ここに「⇄形に交差する」というイメージがある(346「御」を見よ)。
労働の掛け声はAが先に声をかけるとBが後に応じる。AとBの間で声が交差する。だから午のイメージを用いて許の図形が生まれた。また、Aが声をかけてBが応じることから、Aが発言することをBがこれに応じて聞き入れるという意味が生じた。この事態も二人の間で言葉が交差する。だからこれも許という図形で表記されるのである。