「況」

白川静『常用字解』
「形声。音符は兄。兄は音符であるが、もとは家の長男として神の祭りを担当した者で、神の祭りをした人を祝という。祝は神に仕え、神を降ろし迎えることができた。祝の祈りに応えて神が降りて来ているかのような状況を、惝怳ショウキョウ(うっとりすること)という。それで況は“ありさま、ようす”という意味に用いる」

[考察]
「兄は音符であるが」と断り書きをしているのは形声ではなく会意で説きたいからか。字形から会意的に意味を導くのが白川漢字学説の特徴である。兄は祝(はふり)の意味。祝は神降ろしができる。その結果、神が降りて来るようなうっとりとした状況が現れる。ここから況は「ありさま」の意味となる。
なぜ祝から況が出てくるのかよく分からない。「水」はどういう働きをしているのかの説明もない。「水+兄(はふり)」から「ありさま」の意味を導くのは飛躍すぎる。理解不能の字源説である。
古典における況の用例を調べてみる。最古の用法は次の通り。
 原文:每有良朋 況也永歎
 訓読:毎(つね)に良朋有るも 況(ますます)永歎するのみ
 翻訳:良い友だちがあったとて ますますため息が出るばかり――『詩経』小雅・常棣

漢代の毛伝(古注)では「況は茲(ますます)なり」とある。前よりも程度が一段と進む様子である。二つの状況や程度を比較して、AはBよりも程度が大きくなるという認識からhiuang(呉音ではクワウ、漢音ではキヤウ)という語が生まれた。この語を況という図形で表記する。これはどういう意匠があるのか。まず兄という記号を選んだ理由はhiuăngという音の類似性である。また兄(あに)は弟と比べて大きいという意味上の類似性がある。だから兄を音・イメージ記号として立て、「比較して大きい」というイメージを示す。次に比較すべき状況として具体的な場面を設定する。これが水に関する情景である。水に関係のある比較は例えば水量や水温がある。川の水は季節によって水量や水温が違う。かくて「兄(音・イメージ記号)+水(限定符号)」を合わせた況が考案され、Aの時期の川の水かさや水温がBの時期と比べて大きいという意匠が作られる。況という意匠によって「状況や程度がますます大きくなる」ことを暗示させる。
「ますます」という程度の累進・漸進を表す語は二つの似たありさまの比較が前提である。AというありさまとBというありさまを比較して類似性を捉えた上でAをBになぞらえる(たとえる)という用法が生まれた。これが比況の況である。また比較しなぞらえる「ありさま」から、ただ「ありさま」という意味に特化する用法も生まれた。これが状況・実況の況だが、この用法の出現は時代的に遅い。