「恐」

白川静『常用字解』
「形声。音符は巩。巩は工と丮(両手にものを持つ形)とを組み合わせた字で、巫祝が左の手に持つ呪具である工を手に持つ形である。巩は呪具の工を両手で持ち、高く掲げて神に祈り、神を迎えるときのしぐさであり、そのときの神をおそれ、神に対しておそれかしこまる思いを恐という」

[考察]
字形から意味を導くのが白川漢字学説の方法である。「工+丮」という単純な図形から、シャーマンが左の手で工(呪具)を持って高く掲げて神に祈り、神を迎えるしぐさという意味を読み取る。「巩+心」の形から、神を迎えるとき、神をおそれるという意味を導く。
神を祈った結果神を迎えるようになるのはむしろ喜ばしいことであり、恐れという感情が生まれるというのは不自然である。「神を迎える」と「神を恐れる」は結びつかない。
字形から意味を導くのは無理である。むしろ誤った方法である。意味とは言葉の意味であって、字形に属するものではない。では意味はどうして知ることができるのか。言葉が使用されている古典の文脈から知ることができる。恐は次の用例がある。
 原文:將恐將懼 維予與女
 訓読:将(まさ)に恐れ将に懼(おそ)るるとき 維(こ)れ予と女(なんじ)のみ
 翻訳:生活の不安に恐れたあの頃は 身を寄せ合った私とあなた――『詩経』小雅・谷風

恐は不安におびえてびくびくする(おそれる)という意味で使われている。この言葉を古典漢語ではk'iung(呉音ではク、漢音ではキョウ)という。この聴覚記号を視覚記号に変換して恐が考案された。恐を分析すると「巩+心」、巩を分析すると「工+丮」となる。工(kung)という記号にコアイメージの源泉がある。恐という言葉の深層構造に関わるのが工のもつイメージである。工はどんなイメージを表す記号か。
工は二線の間を縦の線で↓の形に突き通す様子を示している。だから「突き通す」というイメージを表すことができる(525「工」を見よ)。他方突き通された空間は穴が開くから、「空っぽ」というイメージに転化する。丮は跪いて両手を差し出す人の形(凡は丮の変形。執・藝・塾など丸に変形することもある)で、限定符号に使われる。「工(音・イメージ記号)+丮(限定符号)」を合わせたのが巩である。これは空っぽな板囲いの中に棒で土を突く情景を暗示させる図形で、築に含まれる。巩も「突き通す」「空っぽ」というイメージを示す記号となりうる。かくて「巩(音・イメージ記号)+心(限定符号)」を合わせた恐が成立した。恐は何かに心が突き抜かれてうつろになったような気分というのが図形的意匠(図案、デザイン)である。この意匠によって「心がびくつく、びくびくおそれる」ことを暗示させている。
白川は工―巩―恐の音のつながりを無視し、実体を重視するから、呪具→巫祝→神を迎える→神を恐れるという具合に展開させた。これでは言葉の深層構造に迫ることはできない。言葉という視座を据えないと、字形の表面をなぞった解釈になる。