「教」
正字(旧字体)は「敎」である。

白川静『常用字解』
「会意。爻と子と攴(攵)とを組み合わせた形。爻は屋根に千木のある建物の形で、校舎をいう。子はそこで学ぶ子弟。爻と子とを組み合わせた𡥈は学(まなぶ)のもとの字である。爻に攴(鞭)を加えて、学舎で学ぶ子弟たちを長老たちが鞭で打って励ますこと、鞭撻することを示し、教は“おしえる” の意味となる」


[考察]
字形から意味を引き出すのが白川漢字学説の方法である。形声の字も会意的に説かれる。会意とはAの意味とBの意味を足したものをCの意味とするもの。爻(千木のある建物、校舎)+子(学ぶ子弟)+攴(鞭)→学舎で学ぶ子弟たちを長老が鞭で打って励ます→おしえると意味を導く。
爻を千木のある建物の形で、校舎とするが、なぜ校舎なのか。爻が建物の形とはとうてい見えない。
上の字源説は「おしえる」の意味が千木、子弟、鞭の三要素の組み合わせから生じたというものである。三つの要素はどれもレベルが同じで、どこに重点・重心があるか分からない。記号の組み立て方にめりはりがない。
漢字の造形法はこんなものではない。重心となる記号がある。これを中心として立体的に組み立てられるのである。特に形声文字の場合は音・イメージ記号が中心にくる。これに意味領域と関わる限定符号が添えられる。各要素はレベルの異なる記号である。
敎は「爻コウ(音・イメージ記号)+子(イメージ補助記号)+攴(限定符号)」と解析される。三つの記号はそれぞれ役割が異なる。爻が言葉の深層構造と関わる基幹記号であり、コアイメージを示す部分である。爻はɦŏgの音形を持ち、教(kɔg)と音のつながりがある。音だけではなくイメージのつながりがある。爻は乂(×の印)を二つ重ねて「×形に交差する」というイメージを示す記号である。×形は↘の方向の線と↙の方向の線が交わる形で、逆方向に行くというイメージにも転化する。だから「×(交差)」のイメージは「⇄(逆方向)」の形でも表せる。爻の記号を中心として、補助記号の子と、限定符号の攴を添えたのが敎である。この図形はどんな意匠をもっているのか。
敎が「おしえる」の意味であることは古典の用例から分かる。「おしえる」とはどういうことか。AがBに知識や情報を授けるということである。Aは情報の発信源、Bは受信者(受け手)である。教育の場合はAは師匠(先生)、Bは子弟(生徒)である。Aから→の方向に向けてBに情報を発信する。Bは←の方向に注意を向けて情報をAから受け取る。このようにA⇄Bの形に情報のやり取りが行われる。教育の場合は先生が生徒に知識を授ける。A→Bの方向の行為を古典漢語ではkɔgという。逆にA←Bの方向、生徒が先生に向けて知識を学ぶ行為をɦŏkという。視覚記号化して前者を敎と書き、後者を學と書く。敎と學は同じ行為の両面に過ぎない。
學を分析すると「爻コウ(音・イメージ記号)+𦥑(両手。イメージ補助記号)+冖(建物。イメージ補助記号)+子(限定符号)」となる(192「学」を見よ)。爻は敎と共通の基幹記号である。𦥑は両手の形で、教える側の動作・行為を暗示させている。敎の場合は攴が動作・行為と関係があることを示す限定符号になっている。鞭とは全く関係がない。子は學にも敎にも含まれている。このように敎と學は語源的にも字源的にも共通性がある。