「郷」
正字(旧字体)は「鄕」である。

白川静『常用字解』
「会意。皀キュウと卯ボウとを組み合わせた形。卯は人が向かい合って坐っている形。皀は𣪘キで、先祖の祭りなどのときに食事を盛って供える器。祭りの後の饗宴のときに𣪘をはさんで二人が坐っている形が鄕で、郷(むか)うの意味となり、饗宴の意味となる。またそのように饗宴に招かれる身分の者を卿という。卿の所有する領地を郷という」

[考察]
まず字形の解剖の問題。郷は卯を含まない。卯を含むのは卿である。卿と郷は同源(同根)ではあるが、意味が違うから、別字として扱う必要がある。
次に意味の問題。郷に卿の所有する領地という意味があるだろうか。古典での使用例がないようである。実際の用例がなければ意味とはいえない。字形から引き出された意味は図形の解釈であって意味ではない。
意味とは言葉の意味であって、字形に存在するものではない。字形から意味を引き出す白川漢字学説は方法論的に(言語学的に)誤っていると言わねばならない。漢字学説は字源だけを扱うと半端なものになる。まず言葉の深層構造を探求すべきである。これが語源である。
意味は言葉に属するもので、言葉の使用される具体的な文脈から知ることができる。郷は次の用例がある。
①原文:爰采唐矣 沬之鄕矣
 訓読:爰(ここ)に唐を采る 沬マイの郷に
 翻訳:ねなしかずらを摘もうよ 沬のむらざとで――『詩経』鄘風・桑中
②原文:孔子於鄕黨恂恂如也。
 訓読:孔子は郷党に於いては恂恂如たり。
 翻訳:孔子は郷里の隣組では実直そうであった――『論語』郷党

①はむらざとの意味、②も基本はむらざとの意味だが、行政単位(隣組のような組織)に使われた。12500戸を郷、500戸を党という。ほかに出身のむら(ふるさと)の意味もある。これらの意味をもつ古典漢語がhiang(呉音ではカウ、漢音ではキヤウ)であり、視覚記号として鄕と書かれる。
古人は「郷は向なり」と語源を捉えている。向は「ある方向に向かう」というイメージだが、「→」の方向でもよいし、「←」の方向でもよい。また「→←の形に向き合う」というイメージにもなる。「→←」の形は「⇄」の形、つまり「互いに通い合う」というイメージにも転化する。
嚮は「ある方向に向かう」というイメージ、響は←の方向に音を出すと→の方向に返ってくるもの、つまり「こだま」の意味、饗は向き合って食事をする(会食する)の意味、薌はある方向にかよってくる「かおり」の意味。これらには鄕が含まれている。

ではなぜ鄕という図形が考案されたのか。ここから字源の話になるが、語源も絡めないと完璧ではない。鄕は卿から派生する記号である。卿の左右にある卯は十二支の卯(ボウ)ではなく、右の卩がひざまずいた人、左はそれの鏡文字である。要するに人が二人向き合った形である。真ん中の皀は器に盛ったごちそう(食・即・既などに含まれている)。だから卿はごちそうを挟んで人が向き合っている図形。これは会食の場面であり、饗宴する情景である。卿の左右の卯を邑とその鏡文字に変えたのが鄕である。鄕を解析すると「卿キョウの略体(音・イメージ記号)+[邑+邑の鏡文字](イメージ補助記号、また限定符号)」となる。卿は会食という具体的状況は捨象して「→←の形に向かい合う」というイメージだけが取られる。具体的場面を改めて邑と邑が向き合った場所に切り換える。これが鄕の図形的意匠である。つまり「→←の形に向き合った邑」という意匠である。「→←の形に向き合う」は「⇄の形に通い合う」というイメージにも転化するので、空間的には向き合った隣どうしの「むらざと」だが、人(住民)の立場から見ると、互いに行き交う「むらざと」でもある。あるいはみやこ(国の中心)と向かい合い、行き来する田舎でもある。これをhiangというのであり、この語の深層構造には「→←の形に向き合う」「⇄の形に通い合う」というコアイメージがある。