「境」

白川静『常用字解』
「形声。音符は竟。竟は音と人(儿)とを組み合わせた形。音は言(神に誓い祈ることば)を神前に供えて祈り、その祈りに応える神の音ない(訪れ)、音によって示される神のお告げである。その音を捧げる形が竟で、神のお告げがあれば、祈りは終わり、実現するのである。それで竟には、おわるという意味がある。おわるの意味を土地の上に移した境は、領地の終わるところ、すなわち“さかい” の意味となる」

[考察]
疑問点①「言を供える」とはどういうことか。②「音(神のお告げ)を捧げる」とはどういうことか。③神のお告げがあれば祈りは終わるから竟は「おわる」の意味になるだろうか。「音(神のお告げ)+人」で「おわる」の意味というのは突飛である。必然性、合理性がない。
白川漢字学説には形声の説明原理がなく、すべて会意的に説くのが特徴である。竟(終わる)+土→領地の終わる所と意味を導く。時間的な意味である「終わる」を空間的な意味にストレートに直結させた。比喩なら分からないでもないが。
字形から意味を導くのが白川漢字学説の方法であるが、「音+人」という僅かな情報からむりに意味を引き出した感は否めない。字形から意味を導くのは誤りである。意味は字形にあるものではなく、言葉に内在する概念だからである。古典の用例を見てみよう。
 原文:襄王以河爲境。
 訓読:襄王、河を以って境と為す。
 翻訳:襄王は黄河を境界とした――『韓非子』有度

境は土地の区切り目(さかい)という意味で使われている。意味のイメージを図示するとA|B の形である。AとBの間を一線で仕切った形、区切った形である。kiăngという語の深層構造には「―|―の形に区切る」というコアイメージがあると言ってよい。kiăngを表記する視覚記号が境である。境は「竟(音・イメージ記号)+土(限定符号)」と解析する。竟については『説文解字』に「楽曲尽くるを竟と為す」とあり、楽曲が終わることと解している。竟は「音+儿(人や人体と関わる限定符号)」を合わせただけの極めて舌足らず(情報不足)な図形である。字形から意味は出てこない。音楽の一節を歌う情景を暗示させようとしたのかもしれない。一節は「|―|」のイメージである。「―|」の部分に焦点を置けば「一段落をつける」「仕切り・区切りをつける」というイメージになる。かくて境は土地に「―|」の形に区切りをつけたところ、土地の区切り目を暗示させる。