「驚」

白川静『常用字解』
「形声。音符は敬。敬は祈りをする者(茍)を殴って、これを儆(いまし)めるという意味である。馬はとくに驚きやすい動物であるから、儆められて(注意されて)驚く馬が驚で、“おどろく”という意味を示した」

[考察]
字形から意味を導くのが白川漢字学説の方法である。敬(祈りをする者を打って戒める)+馬→戒められて驚く馬という意味を導く。図形的解釈をストレートに意味とするのが白川漢字学説の特徴である。だから意味に余計な意味素が混入する。
意味とは何か。「言葉の意味」であることは疑いない。意味は字形にあるのではなく、言葉に内在する概念である。記号素は音と意味の結合体というのが言語学の定義である。したがって字形から意味を求める学説は言語学に反する。では意味はどうして分かるのか。言葉が使われる文脈から知ることができる。文脈のないところに意味はない。驚は古典では次のような文脈で使われている。
 原文:震驚徐方 如雷如霆
 訓読:徐方を震驚すること 雷の如く霆の如し
 翻訳:徐の国を震え驚かした 雷のようにいかずちのように――『詩経』大雅・常武

驚は何かにはっとして身を引き締める(びっくりする、おどろく)という意味で使われている。この意味の言葉を古典漢語ではkiĕng(呉音ではキヤウ、漢音ではケイ)という。これに驚という視覚記号が与えられた。敬を含む記号には警もある。敬・警・驚は音が同じで、共通の記号を含む。日本では「うやまう」「いましめる」「おどろく」は全く別語だが、古典漢語では同音でコアイメージが共通である。それは「身を引き締める」というイメージである。三つとも心理に関わる言葉だが、「身を引き締める」は身体にも関わる。ある原因が身体に影響を与えて緊張することがある。原因が何であるかによって緊張度が違ってくる。例えば偉い人を前にして畏れの感覚が原因の場合に緊張するのは畏敬・尊敬の敬(うやまう)である。予期せぬ出来事が起こりそうな場合に緊張するのは警戒・警告の警(いましめる、用心する)である。思いがけないことにはっとして緊張するのは驚愕・驚倒の驚(おどろく)である。このように敬・警・驚は「身を引き締める」というコアイメージを共有するが、原因が何であるかによって具体的な文脈で実現される意味が少しずつ変わってくる。
驚は「敬(音・イメージ記号)+馬(限定符号)」と解析する。敬は「身を引き締める」というイメージがある(433「敬」を見よ)。馬は馬に関係のある状況を設定するための限定符号である。馬が不意打ちを食らう場面が設定されるが、どんな目に遭ったかは、図形には示されない。乗り物として利用される馬が何か思いがけない目に遭ったため緊張が走るという状況を設定したのである。馬は比喩的限定符号であって、驚の意味素に馬は入らない。