「凝」

白川静『常用字解』
「形声。音符は疑。疑は杖を立てた人が後ろを向き、進むか退くかを決めかねて立ち止まっている姿をいう。そのような状態で動きのない様子を、氷のように凍り付いた状態になぞらえて凝という。凝は“こおる”という意味から、“こる、こらす、かたまる、集中する”などの意味に使う」

[考察]
ほぼ妥当な字解であるが疑問もある。「そのような(進むか退くか決めかねて立ち止まっている)状態で動きのない様子」(A)を「氷のように凍り付いた状態」(B)になぞらえたというが、AをBになぞらえたのではなく、BをAになぞらえたのではないか。
字形から意味を導くのが白川漢字学説の方法である。言葉という視座がないのが欠点である。だから形声文字を会意的に説く。結論はよいが、説明の筋道が分かりにくい。
言葉という視座から凝を見てみよう。古典に次の用例がある。
①原文:履霜堅冰、陰始凝也。
 訓読:霜を履みて堅冰とは、陰始めて凝(こお)るなり。
 翻訳:「霜を踏むと堅い氷がやって来る」という文句は、陰気が初めて凍って固まるということだ――『易経』坤
②原文:手如柔荑 膚如凝脂
 訓読:手は柔荑ジュウテイの如く 膚は凝脂の如し
 翻訳:手は柔らかいつばなのよう 肌は固まった脂身のよう――『詩経』衛風・碩人

①は液体が凍る意味、②は流動するものや進行するものが止まって固くなる(こる)の意味である。この意味をもつ古典漢語をngiəng(呉音・漢音でギョウ)といい、これに対する視覚記号が凝である。
古典に「凝は止なり」とあり、言葉の深層構造が「止まる」というイメージであることを捉えている。凝が疑から派生した語であることは疑にも「止まる」のイメージがあることで理解できよう。正確に言うと「何かにつかえて止まる」というイメージである(詳しくは298「疑」を見よ)。「こおる」とは流動していた水が固まって止まった状態である。したがって①の意味をもつngiəngという語の視覚記号として、「疑(音・イメージ記号)+冫(限定符号)」を合わせた凝が考案されたのである。
「止まる」のイメージは「動き(流動性)がなくなり固まる」というイメージに転化するから、②の意味に展開するのは自然である。これが日本語の「こる」に当たる。