「玉」

白川静『常用字解』
「象形。三つの玉を紐で結び貫いた形」

[考察]
字形から意味を読む漢字学説では、音は全く問題にならず、意味は最初は白紙状態である。白紙状態から、形を解釈して意味を導こうとする。白川は「王」のような図形を上記のように解釈した。しかしなぜ「玉」なのか、なぜ「紐」が出るのか。図形からこんな具体的なものが出るだろうか。玉という字が「玉」の意味で使われているという予備知識があるから、「王」の形を「三つの玉を紐で結び貫いた形」と解釈して、「たま」の意味としたのではないか。
そうだとしたら、字形を解釈して意味を導く学説は音も意味も分からない文字を解読するというものではない。すでに分かっている文字からわざわざ字形を解剖して意味を捉えようとするのが白川漢字学説の特徴である。字形の意味が分かっていないという振りをしているだけである。そうすると次の間違いが起こる可能性がある。
①図形の解釈をストレートに意味とする。言い換えれば、図形的解釈と意味を混同する。
②意味に余計な意味素が混入する。
③意味にずれやゆがみを生じる。あるいは、あり得ない意味を生み出す。
「玉」の場合は「たま」が意味なので②と③の間違いは起こらないが、一対一対応しない字(例えば「犬=いぬ」、「馬=うま」などは一対一対応する)では頻繁に①②③の間違いが起こる。
意味とは「言葉の意味」であって、字形にあるものではなく、言葉に属する概念である。だから字形を解釈して意味を導くという方法は根本的に誤りである。漢字の見方は言葉から出発し、語源を尋ね、それが使用されている古典などの文脈から意味を捉え、その後に字源を考えるのが正しい筋道である。「形→意味」の方向ではなく、「意味→形」の方向に視座を切り換える必要がある。

玉は古典に次の用例がある。
 原文:它山之石 可以攻玉
 訓読:它山の石 以て玉を攻(おさ)むべし
 翻訳:ほかの山のつまらぬ石でも たまを磨くに役立とう――『詩経』小雅・鶴鳴
明らかに「たま」、つまりつやのある美しい石(宝石)の意味である。これを古典漢語ではngiuk(呉音ではゴク、漢音ではギョク)という。この語は角・殻・獄・嶽(岳)などと同源で、「(角があって)ごつごつしている」「堅い」というイメージがある(藤堂明保の説)。加工したたまはつるつるしているが、たまの原石はごつごつとして堅いというイメージである。このイメージを捉えて造語されたのがngiukという言葉である。この聴覚記号を視覚記号に替えるために「王」に似た形が考案された。『説文解字』では「三玉の連なるに象る。|は其の貫くなり」と解釈している。たまの意味であることは最初から分かっていることなので図形の解釈にも玉を使っている。形→意味の方向に見ると「たま」は出て来ないが、「意味→形」の方向に見れば「たま」が出ても不思議ではない。
「王」を「たまを三つ連ねた装飾品(アクセサリー)」の形と解釈してもよいだろう。ただしアクセサリーを意味するのではなく、あくまで「たま」を意味するngiukの視覚記号なのである。
なお「王」(篆書・隷書)が最初の字体であるが、王様の王と区別するため、楷書以後は点をつけて「玉」の字体に変わった。