「斤」

白川静『常用字解』
「象形。斧の形」

[考察]
字形から意味を導くのが白川漢字学説の方法である。斤は斧の形だから「おの」の意味だという。しかし斤は斧を描いた象形文字だろうか。『説文解字』では「木を斫(き)るなり」とあり、木を切るという機能に主眼を置いた解釈をしている。斤の古代文字(金文・篆文)を見ると、⺁の部分と⊤の部分が離れており、とうてい象形文字には見えない。ではどんな意匠をもつ図形か。
その前に斤の用法を古典に尋ねてみよう。次の用例がある。
①原文:斧斤以時入山林、材木不可勝用也。
 訓読:斧斤時を以て山林に入れば、材木勝(あ)げて用ゐるべからず。
 翻訳:時を見計らって斧を山に入れて木を切るならば、材木は使い切れないほどだ――『孟子』梁恵王上
②原文:奄有四方 斤斤其明
 訓読:四方を奄有す 斤斤たる其の明
 翻訳:[王は]天下を支配する はっきりと明察する賢さよ――『詩経』周頌・執競

①は「おの」の意味、②は物事をはっきりと明察する様子の意味で使われている。これらの意味の古典漢語をkiən(呉音ではコン、漢音ではキン)という。この聴覚記号を視覚記号に替えて斤が考案された。上に述べたように斧の機能を図形化したものである。斧の機能とは伐採するために対象(木など)に刃を近づけることである。だから『説文解字』では斫(きる)と解釈している。実際に「切る」という意味でも使われる。このように斤は「(木などを)切る」という行為に焦点を当てて、「対象に限りなく近づける」というイメージで名づけられた。斤は木などを切る行為のプロセスの前半に視点を置いた図形である。だから「⺁」の部分と「⊤ 」の部分の二つの符号から成る。「⺁」は切られる対象、「⊤」は切る道具(斧の刃の部分)を暗示させ、対象に限りなく近づく情景を暗示させる図形である。この意匠によって、「僅かな距離まで近づく」というイメージを表すことができる。
文献は②の『詩経』が①の『孟子』よりも古いが、②は①からの転義と考えられる。転義はイメージの転化によって起こることが多い。②の意味の前には「切る」という意味に転義した。木などを切る行為には「二つに分ける」というイメージがある。物理的なイメージから心理的・精神的イメージに変わる。それは「是非を分ける」とイメージである。物事を分けるのは賢明であり明察である。だから②の意味が生まれる。
なお「僅かな距離まで近づく」というイメージは近・祈・圻キ(=畿。都に近い土地)などにはっきりと残っている。