「謹」
正字(旧字体)は「謹」である。

白川静『常用字解』
「形声。音符は堇キン。堇は飢饉のとき、ᄇ(祝詞を入れる器の形)を頭上に載せた巫祝が前に両手を交叉して縛られ、火で焚き殺される形である。このとき雨を求めてつつしんで神に祈ることばが謹で、“つつしむ”という意味がある。謹慎して神の怒りを静めることを願うという意味である」

[考察]
字形の疑問、意味の疑問については387「勤」で述べた。「勤」では雨を祈って失敗したシャーマンが焼き殺されるとあり、本項では「雨を求めてつつしんで神に祈る」 と言う。つつしんで祈ったけれども失敗したから焼き殺されるのであろうか。堇は焼き殺されるシャーマンであり、祈りに失敗したシャーマンだから、「堇+言」から「つつしむ」という意味が出るだろうか。意味の展開が曖昧模糊として分かりにくい。
字形から意味を引き出すのが白川漢字学説の方法である。どこからどこまでが図形の解釈なのか、何が意味なのか非常に曖昧である。謹は「雨を求めてつつしんで神に祈ることば」という意味なのか、それとも「謹慎して神の怒りを静めることを願う」という意味なのか。こんな意味はあり得ない。
意味とは字形に由来するものではなく、言葉に内在する観念である。言葉が具体的文脈で使われる際の、その使い方である。文脈を離れては意味はない。謹は具体的文脈でどうのように使われているかを見てみよう。
①原文:謹而信。
 訓読:謹みて信あり。
 翻訳:言動につつしみ深くし、うそ偽りがない――『論語』学而
②原文:遇客甚謹。
 訓読:客を遇すること甚だ謹しむ。
 翻訳:客への待遇がとても恭しかった――『韓非子』外儲説右上

①は細かく気を配る(控えめにする、つつしみ深い)の意味、②は恭しくかしこまる意味である。これらの意味をもつ古典漢語がkiən(呉音ではコン、漢音ではキン)である。これを代替する視覚記号を謹とする。
なぜ堇という記号が用いられたか。音とコアイメージが堇と共通だからである。 堇は「乾く」というイメージから「水分が尽きる」というイメージに展開する(233「漢」、387「勤」を見よ)。「尽きる」は無やゼロまでは行かないで、「少なくなる」「わずか」でも構わない。これは「小さい」「細かい」のイメージにも転化しうる。さらに「細かい」は「(動作が)細々している」「大雑把ではなく細かい」というイメージも表しうる。したがって謹は言動において細かいことに(細々と)気を配る状況を暗示させる。この図形的意匠によって①の意味をもつkiənという語を代替するのである。