「愚」

白川静『常用字解』
「形声。音符は禺。禺はうずくまっている大きな頭の爬虫類の形であろう。それが顒然としている(じっと座っている)様子は、動きが敏捷な動物に比べると愚鈍なようにみえる。もと動きがにぶいという意味で、愚を“おろか”の意味に使ったが、のち知能の働きなどがにぶいことも愚といった」

[考察]
形から意味を求めるのが白川漢字学説の方法である。禺(うずくまっている大きな頭の爬虫類)が他の動物に比べて愚鈍に見えるから、「動きがにぶい」、さらに「知能がにぶい」の意味になったという。
うずくまった爬虫類とは何のことであろうか。うずくまった姿が愚鈍に見えるとは主観的過ぎないだろうか。意味の展開に必然性が感じられない。
字形から意味を導くのは無理である。というより誤った方法である。意味は字形に属するものではなく、言葉に内在する概念だからである。言葉(記号素)は音と意味の結合体というのが言語学の定義である。言葉以外で意味を云々するのは比喩である。図画(例えば宗教画)などが何かを意味すると表現するのは言葉による解釈を述べている。
意味は言葉の意味だから、言葉が使用されている文脈から意味を判断し知ることができる。文脈がなければ判断のしようがない。愚は次のような文脈で使われている。
 原文: 人亦有言 靡哲不愚 庶人之愚 亦職維疾 哲人之愚 亦維斯戾
 訓読: 人亦(また)言有り 哲として愚ならざるは靡(な)し 庶人の愚は 亦職として維(こ)れ疾なり 哲人の愚は 亦維れ斯(こ)れ戻(もと)る
 翻訳: 昔の人のことわざに 「愚かならぬ智者はない」 庶民の愚かさは ただ悪い癖だが 智者の愚かさは まったく大きな罪だ――『詩経』大雅・抑

愚は知恵が足りない(おろか、ばか)の意味で使われている。これを古典漢語ではngiug(呉音・漢音でグ)という。この語を代替する視覚記号として愚が考案された。「禺(音・イメージ記号)+心(限定符号)」と解析する。禺が言葉の深層構造に関わる重要な記号である。どんなコアイメージを表すのか。
『説文解字』では「禺はサルの一種で、サルは人間に比べてばかだから愚かとなったといった解釈をしている。白川説もこれと似ている。言語外のことから「おろか」の意味を求める点が共通である。
しかし『説文解字』が禺をサルとしたのは解釈のヒントになる。『山海経』に禺という獣が出ているがニーダムらはこれをMacaca(アカゲザル)類のサルに同定している(『中国古代動物学史』)。サルに対する古人のイメージは猩猩に最高の評価を与え、賢く、言語をしゃべる動物と見ているが、一般のサルにも人間と似た動物、人間をまねる動物というイメージを持っていた。だから禺という記号はサルという実体を離れて、「A(本物)とB(にせもの、まがいもの)が並ぶ」「似たものが二つ並ぶ」というイメージを示す記号になりうる。また「本物と似ているが本物ではない」というイメージにも転化する。かくて愚の解釈が見えてくる。知恵などが本物らしく見えるがまがいものである状況を暗示させるのが愚の図形的意匠である。これによって「おろか、ばか」を意味するngiugを表記した。
字形→意味の方向に漢字を見ると爬虫類やサルがばかだからばかという意味になったと説かれるが、そうではなく、意味→形の方向に漢字を見るべきである。そうすると別の解釈を得ることができる。