「偶」

白川静『常用字解』
「形声。音符は禺。禺は顒然として(じっと座っている様子)うずくまるような姿の獣の形。そのような形をした“ひとかた(人形)” を偶という。偶人は副葬品として使用されることもあり、その場合には二つずつ並べられることが多かったので、偶は“ならぶ”、偶数の意味ともなる」

[考察]
字形から意味を導くのが白川漢字学説の方法である。禺(うずくまるような形をした獣)に似た人形が偶で、副葬品として二つずつ並べることが多いので、「ならぶ」の意味と偶数の意味になったという。
しかし人形がうずくまる獣に似ているとか、副葬品で二つ並べるなどといった偶然の要素から意味を導いている。意味の展開に必然性、合理性がない。
字形から意味を求める手法は逆立ちした字源説である。意味とは言葉に属するもので、字形に属するものではないから、字形から意味を導くことはできない。言葉という視点に立ち、言葉の意味がどのように図形として表現されたかを考究すべきである。これが正当な字源説である。
まず偶が古典でどのような文脈で使われているかを見よう。
①原文: 有土偶人與桃梗相與語。
 訓読: 土偶人と桃梗と相与(とも)に語る有り。
 翻訳: 土の人形と桃の人形が話をしていた――『戦国策』斉策
②原文: 彼是莫得其偶、謂之道樞。
 訓読: 彼と是れ其の偶を得る莫(な)き、之を道枢と謂ふ。
 翻訳: あれとこれが互いに対になるもの[対立者]を持たないこと、これが道枢[絶対者]というのだ――『荘子』斉物論

①は人形の意味、②は対をなすもの(カップル)の意味である。この語を古典漢語ではngug(呉音ではグ、漢音ではゴウ)という。これに対する視覚記号が偶である。偶は「禺(音・イメージ記号)+人(限定符号)」と解析する。禺は「A(本物)とB(にせもの)が並ぶ」「似たものが二つ並ぶ」というイメージがある(401「愚」を見よ)。したがって偶は人(A)に似せたもの(B)を暗示させる。Bは人に似たにせものである。だから①の意味をもつngugを偶で表記する。
意味はコアイメージによって展開する。「似たものが並ぶ」というコアイメージから、A(男)に並んだB(女)、つまり連れ合い(配偶者)の意味に展開する。これが②のカップルの意味である。数学では2の倍数である2、4、6・・・を偶数という。2は1と1、4は2と2という具合にカップルで成り立つ数である。必ず2で割り切れる数である。
また偶然・偶発のように「たまたま」の意味がある。これはどういうわけか。偶には男女が結ばれて連れ合い(カップル)になるという意味もある。この男女は同族(同家)の人間ではなく、全く無関係の人間である。結婚とは見知らぬ男女の結合である。だから誰と連れ合いになるかは予期しないことである。予期せぬ出会いを遇(遭遇の遇)という。予期せぬ事態を偶然(たまたま)というのである。